☆ウィーン・フィル定期演奏会
指揮:ベルナルト・ハイティンク
管弦楽:ウィーン・フィル
会場:ウィーン・ムジークフェライン大ホール
いやはや疲れてぼーっとした頭で書くというのは実に難行苦行である。
特に音楽会の感想などというのは、どこをどう感じ取ったかに加え、そのまわりに何があったか、エピソードもちょいちょいメモすべきなのだが…。
10時間列車の中で揺られているというのは、実に辛いものがある*1。
さて、ウィーンの巡察。
夜行列車は、思ったとおり睡眠時間がほとんどとれず(それでも寝台車にしておいてよかった)、あっと言う間にウィーン西駅に到着。迷うことなく(奇蹟的!)*2、地下鉄を乗り継いで目指すムジークフェラインへ。
ウィーンの街並み、その風格と大きさに驚きつつも、朝の凍てつくような寒さにもっと驚いた(実は、当たり前のことだが)。
何人かの日本の方々もうろちょろしていたが、はてチケットはあるのかと思って係のおじさんに尋ねてみたら、なんと「シュテー(立ち見)もない、売り切れ」とのこと。
おいおい、どうするんだよ!?
と、思って周りの看板を見たら、同じ時刻(午前11時)にコンツェルトハウスで、ウィーン・シンフォニカー*3のコンサートがある。
まだ9時30分くらいなので、一度そっちのほうの様子も見ておくことにする。
スケート場の隣にコンツェルトハウスはあった。
どうやら当日券もありそうらしい。よし、それでは、10時30分くらいまでムジークフェラインの前でねばって、それでだめならシンフォニカーを聴こう(すぐ近くだから、歩いて間に合う)という腹積もりでムジークフェラインに戻る。
日本人女性二人組へまずシンフォニカーを紹介する。
日本人の客も多くなんだかいやになるが、係の人や周りの人に今一度確認して「売り切れですよ」と伝える*4。
(そういうお前も日本の人! ただ、三人組の通ぶったやつ、音楽を習っているのだろう男は、残響がどうのとか「テアトロ・デル・オペラはだめだよ」などという偉そうな言葉が鼻についた)
加えて、韓国から訪れていた若者の集団にも、ウィーン・シンフォニカーを紹介する。
(あの人数では無理!)*5
私は、人の世話をしていたのがよかったのか、品の良さそうなおばさんからシュテーを譲ってもらう*6。
ドイツ語(下手!なのに)で話をしていたのが、功を奏したのだろう。
ただ「ない、ない」という割には、待っていた日本人がちゃんと中に入っていた。
女性二人組には悪いことをしたが、座ってシンフォニカーを聴けたとすれば、良しとして欲しい。
さて、シュテー。これは本当に疲れた。
ケルンと違って本当のシュテー*7。ザール*8の一番後ろに立つところがある。
知り合いになった日本の女性(19歳。英語が達者。それに、偉そうなことを言わないのが良い)とアメリカ・コロラド出身のおあにいちゃんの傍に立って、なんとか舞台も観られる。
ザールの装飾は以前ニューイヤーコンサートの衛星中継(NHK)で何度か目にしたことはあるが、実際観てみると、このザールの年輪のようなものを感じる。
ケルンのフィルハーモニーや日本のザ・シンフォニーホールにはない落ち着きが感じられた。
さてプログラムは、ハイドン、ベルク、シューベルトという、ウィーン・フィルらしいオーソドックスな組み合わせ。
指揮は、オランダ生まれの巨匠(!?)ベルナルト・ハイティンク。
まず、ハイドンの交響曲第86番。
序奏の音が出たとたん、なんとまろやかな柔らかい響きのするホールだろうと思った。
音が個々各々明確に聴こえるというより、様々な楽器の音色が良い意味で重なり合う(とけ合う。と言っても、一つ一つの楽器の音が消されるわけではない)。
演奏のほうは、最近の古楽器演奏などと比べると、いくぶんオールドファッショなものといえる。例えば、昔聴いたモントゥー&ウィーン・フィルのハイドンや、シューリヒト&ウィーン・フィルのモーツァルトがそうであるように。
弦はたっぷりとヴィヴラートをかけ、テンポは速めでもなくまた遅くもなくという演奏だった。
他のオケ、ホールでは絶対に「?」となるだろうが、さすがにウィーン・フィルとこのホールの響に気を取られ、それほど気にならなかった*9。
(なお、この曲を聴くのは、高校時代、古レコード屋で買ったワルター指揮ロンドン交響楽団のSPレコードを手回しで何回か鳴らして以来*10)
2曲目は、ベルクの管弦楽のための3つの小品。
先日、ヤノフスキ&ケルンWDR交響楽団で聴いたばかり。
ホールの音色の違いもあるだろうが、演奏自体は別として、WDRのほうが洗練されて聴こえた。
ここではウィーン・フィルも音が合わなかったり、ミスもちょっとあったよう。
第3曲のマーチは、WDRのときはショスタコーヴィチとの親近性を感じたのに対し、今日の演奏は、マーラーとの関連を感じさせた。
さすが保守的と言われるウィーン・フィルの聴衆だけあって、定期会員の中には途中で抜ける人もいたし、ほとんどの人が拍手もそこそこにパウゼへ。
パウゼのあとは、シューベルトのシンフォニー「ザ・グレート」。
これもアバド等の原典譜(?)による演奏がすでに行われているわけだが、ハイティンクとウィーン・フィルの演奏は、これまでの伝統的な解釈に沿ったものだったろう。
第1楽章などは、ハイティンクだからもっとのたのたするだろうと思っていたら、予想に反してそれほど遅くない演奏(ハイティンクよりオケの意図?)。
また第2楽章のオーボエ等による民謡風のメロディーが一段落して弦が優しいメロディーを奏でるところ、第3楽章スケルツォのトリオの部分などは聴いていてほれぼれするものだった。
例えば、ノリントン等のシューベルトを聴いた耳からすれば、考えるべき部分も多いのだろうが、あの響きと一体となった弦の艶やかな音や管の甘い音(独特の楽器)を聴いていると、「ウィーン・フィルならばねえ…」とついつい思ってしまう。
ただ、この曲では金管のミスがわかった(そりゃ、ミスがないなんて演奏がありますか?)。
そこらあたりが、「人間らしいオーケストラ」と呼ばれるゆえんかも。
それと、疲れもあってか、少々(悪い意味での)「天国的長さ」*11を感じた。
ウィーン・フィルを聴いて(私が運良くムジークフェラインでの演奏を聴けたから言えるのかもしれないが)、このオケはこの響きの中でこそその本領を発揮するだろうということを痛感する。
逆に言えば、ウィーン・フィルの伝統的(?)な演奏は、このホールを意図して行われているものだから、他の新しいホールで、それだけ本来の魅力を実感できるかは疑問である。
ただ、こうしたウィーンという都市の一握りの会員(実は観光客?)−それは、未だに保守性を残す−を根本に見据えて、それに見合う演奏を行っているオーケストラが、どの時期まで残るのか。
注目するとともに、不思議でさえある。
ウィーンの古くからの聴衆は、現在のウィーン・フィルを「大きく変わった」と言うのだろうが、確実に根深く残っているものはあるだろう(音色やテンポ感)。
それはウィーンという都市の、両次大戦で変わったと言われながら残存している「アトモスフェア」とも共通しているかもしれない。
当然のことながら、良い意味でも、悪い意味でも新しい時代の波は、訪れていると思うのだが。
しかし、演奏は別にしても、この音は良かった。
これは、どこも真似できない音だ。
*1:これから記す、日曜昼のウィーン・フィルの定期を聴き終えてすぐに、僕は電車でケルンまで戻ったのだ。その行程約10時間。
*2:僕は極度の方向音痴なのだ。
*3:ウィーン交響楽団のこと。
*4:ウィーン・フィルを聴きにはきたものの、ドイツ語を知らない日本人がけっこういたのだ。こちらとて、片言しかしゃべれはしないけれど、あれこれ騒いでいるので、状況を説明したのである。
*5:たしか、20人近くいた。
*6:ただでチケットをくれた。
*7:ケルンはシュテー(立ち見)のチケットで入場しても、空席がある場合は係の人が率先してそこに座るように促していた。
*8:ホールのドイツ語。
*9:ここでは記していないが、ハイドンの演奏中、後部座席に座った高齢の女性が意識を失っていた。隣の男性の激しく動揺した様子から、たぶん女性は亡くなっていたのだと思う。ただ、女性は静かにホールの外に運び出され、コンサートは何事もなかったかのように進んだ。
*10:蓄音器ではなく、ポータブルプレイヤーを利用。78回転の設定がないので、手で回すしかなかったのだ。
*11:この曲を評するに際してシューマンが使ったおなじみの言葉。