2011年12月31日

個人創作誌『赤い猫』第4号刊行延期のお知らせ

 6月末までの刊行を予定していた『赤い猫』第4号ですが、諸般の事情から刊行を延期させていただくこととなりました。
 お問い合わせをいただいた方々をはじめ、皆様方にはご迷惑をおかけしますが、何とぞご容赦ご寛容のほどよろしくお願い申し上げます。

 なお、 お問い合わせ等に関しては、こちらまでご連絡いただければ幸いです。
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2010年05月09日

5月の創作活動予定

 1:『Kiss for Two』
 『Kiss for Two』は、1950年代のアメリカを舞台とした一幕物の二人芝居。
 いわゆるスクリューボールコメディの執筆を試みたものだが、出来はいまいち。
 それでも、5月中に読み直し手直しを終えて、某所に送付してみるつもり。


 2:『山中貞雄餘話』
 ここのところ、ちびちびと書き続けて来たこの小説も、なんとか先が見えてきた?
 が、予想していたよりも短くなりそうで、ちょっとこれは拙い。
 水増しするわけにもいかないし。
 ううん、参った。
 いずれにしても、5月中に第一稿を完成させたいのだが。


 3:『魔王』
 伊坂幸太郎作品と題名がだだかぶり。
 けれど、執筆したのは僕のほうが先なのですよ。
 前々から、挿入部分の出来の悪さが気になっていたため、思い切って改作に挑んだのだけれど、いやはや難航難業。
 完成は7月以降になるのではないか…。


 4:『告悔』
 『不在証明』の姉妹篇(兄妹篇?)となる作品。
 が、アイデアを少し考えただけで、未だ海のものとも山のものともつかず。
 プロット程度は考えておきたいところ。
 まいてまいて。


 まあ、やるべきことをどんどんやっていけってことですね。
 頑張らなくては!
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2009年05月04日

妙な夢

 こんな夢を見た。
 私は本を読んでいる。
 花田清輝の評論集や林光さんの書いたものだから、全て愛読書と呼べるものである。
 すると、そこに顔の見えない男がやって来て、これを読まなきゃだめじゃないかと、ある本を差し出した。
 なんだうっとうしいと思いながら、本の表紙をのぞくと、そこにはマルクスだのエンゲルスだのという言葉が仰々しく並んでいた。
 何をいまさらと腹が立って顔の見えない男に文句を言おうとしたところで、目が覚めた。
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2009年04月21日

贋作破れ傘刀舟悪人狩り(朗読のための小品)

*登場人物

 叶刀舟
 兵庫頭=山口兵庫頭
 木曾屋=木曾屋太兵衛


兵庫頭「むふふふふ、そのほうのおかげでこのわしも、間もなく勘定奉行の要職を手に入れることができそうだ。木曾屋、これからもよろしく頼んだぞ」

木曾屋「滅相もございません山口様。この木曾屋こそ、山口様のおかげで公儀御用達の看板をいただけたのでございます。この木曾屋太兵衛、山口様がお命じならば、たとえ火の中水の中」

兵庫頭「うむ。あとは、瑞泉寺の叶刀舟とかいう厄介者を始末するだけだな」

木曾屋「はっ、そのとおりでございます」

叶刀舟「どけどけどけ、てめえら雑魚には用はねえんだ。斬られたくなかったらどきな」

兵庫頭「貴様、いったい何奴。ここを材木奉行、山口兵庫頭の邸宅と知っての狼藉か」

叶刀舟「てめえらか、清吉を殺したのは」

木曾屋「山口様、こやつでございますよ、例の叶刀舟とかいう藪医者は」

兵庫頭「なに、こやつが。飛んで火に入る夏の虫とは貴様のことだな」

叶刀舟「やかましいやい、この野郎。てめえら、材木の値上がりをはかるために、なんの罪もねえ江戸の家々につけ火なんかしやがって。
 それだけじゃねえや、てめえらよくも清吉を殺したな。
 いいか、清吉はなあ、口は悪いが心根の優しい男なんだよ。てめえらみてえなうすら汚ねえ下種下郎千人万人かかったって適うことのねえ、いい奴なんだよ。
 それをてめえら、よってたかって虫けらみてえに殺しやがって。
 てめえら人間じゃねえや、たたっ斬ってやる」
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2009年04月13日

微速前進 『赤い猫』第2号小報

 今日、烏丸通のキンコーズまで行って個人創作誌『赤い猫』第2号の版元をプリントアウトし、さらにそれを京都こぴいで縮小コピーする。
 第2号発行に向けての作業をなんとか再開したというわけだが、まだまだ先は長い。
 まあ、焦ってみても仕方ないやね。
 ここは微速前進。
 ちょっとずつでも進めていくしかないのだ。
 と、自分自身に言い聞かせているところである。
 頑張らなくっちゃ!
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2009年04月09日

館佐武郎を探してのメモ

 以前書きあげた『伊達三郎を探して』は、今から二十年近くも前、当時はまだ存命だった大映出身の役者伊達三郎にインタビューを申し込もうとして果たせず、その後しばらくして伊達さんが亡くなってしまう、という個人的なエピソードを軸に、事実2割虚構8割という形で仕立て上げた小説だが、今回新たに書き始めた『館佐武郎を探して』は、その『伊達三郎を探して』からスタートしつつ、物語の展開など、事実0・5割虚構9・5割と、ほぼ作者自身の空想妄想の産物と称してもよい内容になると思う。
 ただ、以下に記す登場人物の設定からは、実在の人物を強く想像される方々がいてもおかしくはないのではないか。
 けれど、上述した如く、この『館佐武郎を探して』は、ほぼほとんど作者、中瀬宏之自身の空想妄想の産物なのである。
 その点、何とぞご承知おきいただきたい。

 で、以下が主な登場人物。

 ☆私
 映画や演劇、音楽に関する雑文書きを生業にしている人物。
 『來三を観る』という著書を出版する。

 ☆内川來三<故人>
 時代劇から現代劇まで幅広くこなした大活(大日本活劇)のトップスター。
 今も根強い人気を誇る。

 ☆館佐武郎<故人>
 來三と多数共演した、元大活専属の男優。
 個性的なバイプレイヤーとして知られる。

 ☆綿貫八十助
 かつて館佐武郎のマネージャーを務めた人物。
 私に、ある仕事を依頼する。

 ☆泊昌子
 木屋町通にある「あかねぞら」の主人。
 大活出身の元女優。

 ☆小野塚糺
 戦前戦後大活で活躍した映画監督、のちに脚本家。
 齢百を数える。

 ☆島村小夜
 元大活専属の女優。
 來三作品に数多く出演。

 ☆田所謙蔵
 元大活専属の映画監督。
 來三と親しく、彼主演の作品を多数撮影する。

 ☆佐々龍之進
 元大活専属の男優。
 ささりゅうの愛称で親しまれる。

 ☆浅野信弘
 かつらがわ出版社長。
 私に、『來三を観る』の出版を勧めた人物。


 さあ、書くぞ!
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2009年04月06日

なんと冷笑的な

 思うところがあって、今から10年以上も前に書き上げた、『ヘンゼルとグレーテル もしくは、舞台の裏の表の裏』という戯曲を読み返している。

 『ヘンゼルとグレーテル、以下省略』は、フォン・ディーツェンバウムなる架空のドイツ人作家がものしたという体をとった「D三部作」の二番目にあたる作品で、おなじみグリム童話、というよりも、フンパーディンクのオペラに加えてヴェーデキントのルル二部作(『地霊』、『パンドラの箱』)を下敷きにし、ナチスが政権を奪取するかしないかの1930年代前半のドイツに舞台を設定した、と語るだけで、察しのよい方ならば、だいたいどのような展開をたどっていくかがおわかりになると思う。
 まあ、冒頭に置いた、
>あるじゃあないかよ
 金貨がたっぷり
 お札もどっさり
 ばばあの呻きが聞こえても
 思いやりなど微塵もねぇ<*注
という、ヴェーデキントの『伯母殺し』という詩の一部が全てを象徴しているのではないか。

 それにしても、「かわいいお子様のための舞台劇」と銘打ちながら、途中絶命館大学の大波総長、御徒町革命部長(当時、上野何某という教授がいたのだ、立命館大学に)が登場したり、登場人物が放送禁止用語を連発したりと、なんともかともな内容には、我ながら穴があったら入りたい心境だ。

 おまけに、幕切れ(本当は、このあとに八つ裂きジャックなる怪人物が登場するのだが)に置いたヴォードヴィルの歌詞たるや、以下に記す通りなのだから、シニカルさもここに極まれりではないか。

★幕切れのヴォードヴィル
 1:ペーターとゲルトルート(ヘンゼルとグレーテルの両親)
 ひとを愛せよ慈しめ
 争いごとなく抱き合え
 しょせんこの世は茶番劇
 腹を立てるな諍うな
 しょせんこの世は茶番劇

 2:ウンズィン=ばかとケーゼ=おろか
 ひとを笑うな笑われよ
 賢いことなどやめておけ
 しょせんこの世は茶番劇
 腹を抱えて笑っても
 しょせんこの世は茶番劇

 3:ヘンゼルとグレーテル
 ひとを頼るな信じるな
 優しい言葉は嘘ばかり
 しょせんこの世は茶番劇
 腹を開いて語っても
 しょせんこの世は茶番劇

 4:全員
 しょせんこの世は茶番劇
 腹を立てても怒っても
 しょせんこの世は茶番劇
 しょせんこの世は茶番劇

 正直、今ではこういう内容の作品を書けはしない。
 なぜなら、シニカルを気取ることができるのは、結局目の前のあらゆる状況に対して甘えていられる余裕があるということなのだ。
 今は、そんな余裕など、どこにもない。
 はずだ。


 *注
 岩波文庫の『ドイツ名詩選』所収の檜山哲彦訳を参考にして、それに少し手を加えたものである。
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2009年03月30日

またぞろ『カルタ遊び』メモ

 28まで書き終えて、原稿用紙92枚分となった『カルタ遊び』だが、またぞろ登場人物が増えてしまった。
 と、言うことで、備忘録を兼ねて再び『カルタ遊び』のこれからについてアップする次第。
 まさしく自分自身のためだけの記事という点、ご寛容ご寛恕のほど。


 ☆櫟京子
 櫟親隆の妻で、清隆の母。

 ☆兼松久子
 京子の母。

 ☆深水加奈子
 親隆の母方の叔母。

 ☆深水沙織
 加奈子の孫。

 ☆櫟芙由子
 親隆の従妹。

 ☆櫟梓子
 親隆の姪。

 ☆櫟房子
 親隆の大伯母。のち、108歳で大往生。

 ☆須恵原清
 房子の年下の友人で、四民学園創始者。

 ☆熊倉和夫
 衆議院議員。日本協産党所属。百合根徹の遠戚。

 ☆下八川亮祐
 衆議院議員。内務治安委員会委員長。日本民憲党所属。

 ☆高林充典
 内務省官房長。


 いやあ、ここまできたら収拾もへったくれもないや。
 それこそ「デウス・エクス・マキナ」でも登場させたろかい…。
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2009年03月04日

カルタ遊びのこれから

 どんどんよくなる法華の太鼓、といけばよいが、どんどん拡げるだけ拡げて、収拾がつかぬまま強引に終息させてしまうのではないかという不安がもたげつつある『カルタ遊び』だけれど、なあに構うものか。
 で、現在25(立志館大学国際交流学部教授安西卓郎のポルトレイト)を書き進めているところだが、またぞろ登場人物が増えたので、ここにメモしておく次第である。

 ☆市橋恵子
 一ノ瀬こころのマネージャー。

 ☆西沢阿麻梨
 立志館大学国際交流学部3回生。コスモラウンドの会副会長。

 ☆越後屋俵次
 立志館大学法学部3回生。青年民衆同盟同盟員。

 他に、今のところ登場はしていないが、戦前の特別高等警察の刑事か憲兵、もしくは内務省の官僚として、島村弥六郎という人物も登場する予定だ。
 また、以前、宇津木禅としてアナウンスした人物は、市川禅蔵とすることにした。
 宇津木禅も悪くないけど、辰新太朗ときたらやっぱり市川禅蔵じゃないと。
 憑きもの落としの恰好が似合うのは、雷蔵、じゃない禅蔵って気がするし。
 それにしても、ますます「モデル小説」的な雰囲気を濃厚に醸し出し始めた我が『カルタ遊び』。
 あくまでもフィクション、現実とは一切関係のない作品ですので、悪しからず。
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2009年02月25日

剃刀佐次郎御用帖より(朗読のための小品)

「旦那、それなんですがね。あたし見ちゃったんですよ」
 と、角蔵が赤くなった鼻の頭を左の人差し指でせわしなく掻きながら言った。
「見た、何を見たと言うのだ」
 と、千田(ちだ)万兵衛が聞き返した。
「旦那、絶対に他人(ひと)には内緒ですよ、ここかぎり」
 角蔵はそう声を潜めると、
「佐々木の旦那がね、これと歩いてたんです、これと」
と、右の小指を立てて見せた。
「ほう、佐々木が女と」
「ええ、それも小股の切れ上がっためっぽういい女でしてね、あたしゃ驚いたのなんの」
「角蔵、俺が女と歩いていて何が悪い」
 突然、衝立の向こうから佐々木佐次郎が顔を出した。
「うわっ、びっくりしたなあもう。いるならいるで一言そうおっしゃって下さいよ」
「俺がいて悪いか」
「ほら、そうやってすぐ凄むんだから。ねえ、旦那」
 そう言って、角蔵は万兵衛に助けを求めた。
「角蔵ではないが、わしもお主が女といっしょに歩いているとはちとげせんのだがな」
「千田さん、あれは妹ですよ」
「妹」
「妹とな」
「ええ、妹です。腹違いじゃありますがね」
 と、佐次郎は付け加えると、少し照れくさそうな顔をした。
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2009年02月11日

いかあられの変容 『カルタ遊び』の一部から

 昨日記した「いかあられ」の一件が、『カルタ遊び』の一つの章にいか様に変容したか、アップしてみたいと思う。
 筆入れをきちんと行っていないこともあり、稚拙陳腐極まりない文章である点に関しては、ひらにご容赦いただきたい。
(なお、文中、実在の人物や実際の出来事を想起させる部分があるかもしれないが、あくまでもこれは中瀬宏之の創作による、フィクションであることを明記しておく)



 冗談じゃない。と、冬子は思った。
 お前とはやってられない、お前といっしょに舞台に立つのはもうごめんだ。そう言って、劇団を去って行ったのはあっちのほうではないか。それも、こそこそこそこそと裏で仲間を募って。
 確かに、あの騒動の起こる少し前から、劇団内に妙な雰囲気が漂っていることは、冬子もはっきりと感じていた。
 楽屋をのぞいたら、それまで何か楽しそうに話していた二人が自分の顔を見るなり急に黙り込んだり、稽古のときに自分の小道具類だけが全く用意されていなかったり。
 それも、一度ならず二度三度と。
 それでも、まさかあんな風に中堅若手ばかりか、劇団を始めた頃からの団員までがこぞって退団するなどとは思ってもみなかった。
 生れてこの方、あんな手ひどい仕打ちを受けたのは初めてだ。
 それこそ、心臓が止まってしまうかと思うぐらいの衝撃だった。
 そういえば、あの騒動を伝える新聞の記事には、演劇的芸術的思想の違いという言葉に加え、何がなんでも梅町冬子大事の劇団の体質に不満が爆発したとも書かれてあったが。
 何が、何がなんでも梅町冬子大事の体質か。
 そりゃ、時として自分が我がままを言い続けてきたことを冬子自身自覚していないことはない。
 上演する台本を選ぶ際も、正直言って自分自身の力が十分十二分に発揮されるものを中心に選んできた。そして、自分がこれはと見込んだ俳優たちを進んで優遇してきた。
 けれど、それは文豪座という劇団の行く末を案じてのことではないか。
 だいいち、文豪座のお客さんの多くは、この梅町冬子の演技を観るために、わざわざ劇場に足を運んでくれているのである。
 そのことをろくに考えもしないで不平不満を並べたて、はては自分のことを裏切るなんて。
 冬子はあの騒動を思い返すたびに、身体の奥から得体の知れない生き物が何千何万も這い出してくるようななんとも曰く言い難い感情を抑えることができなかった。
 ところが、下劣愚劣の徒というものは、やること為すこと一事が万事その通りで、過去の出来事などまるでなかったかのような顔をして、平気で許しを乞おうとする。
 さっき楽屋を訪ねてきた、あの遠山譲もそんな下劣愚劣の徒の一人だ。
 梅町先生、僕はもう一度先生とごいっしょに。
 よくもそんな言葉を口にすることができたものだ。
 あの男がいらぬ苦労をかけたせいで、友田弓子は死んでしまったのではないか。
 それにあの男は美作六助のことをしきりと口にしていたが、六さんの場合と遠山譲では丸きり話が違う。
 六さんは、馬場源太郎ばかりを文豪座から追い出すのは忍びないから、自分が無理を言って…。
 ああもう、いやんなっちゃうなあ。
 どうしようもない怒りと憤りが込み上げてきた冬子は、知らず知らずのうちに、遠山譲が北海道土産と称して持って来たいかあられの袋を、何度も何度も力任せに踏みつけていた。
(以上、『カルタ遊び』の23)
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2009年01月28日

『カルタ遊び』の今後の執筆予定

 昨日ここに記した、戯作『カルタ遊び』。
 その展開や如何?
 と、いうご質問をとある方から頂戴したこともあり、なおかつ、自分自身の「交通整理」の意味も含めて、『カルタ遊び』の今後の執筆予定に関し、恥も外聞もなく記してみようと思った次第。
 なお、以下は順不同。
 さらには、実際に執筆するか否かは書いてみた都合ということを、よろしくご了解いただきたい。

 ☆元田博一
 櫟清隆の親友。宮路又四郎に誤って殺害される。

 ☆一ノ瀬こころ
 若手人気俳優。『あんたがたどこさ』に出演。

 ☆田向奈々子
 陶芸作家。西浦朋樹の小学校時代の同級生。

 ☆丹波美智子
 車椅子の指揮者。石母田七瀬、木佐貫葉子、八木沢茜の親友。

 ☆古畑五十路
 日本映画界を代表する巨匠。『日本の日蝕』、『竜巻』、『逆らう』、『悪霊』、『鬼婆と四十人の盗賊』、『富士山』、『どがすかじゃん』、『女はこうした物語』、『藪医者』、『もういいよ』その他傑作多数。

 ☆伊佐坂難題(岩本修五郎)
 人気作家。劇団文豪座の発起人。古畑の友人で、『女はこうした物語』の原作者。故人。

 ☆梅町冬子
 文豪座の看板女優で、古畑組の一人。『あんたがたどこさ』にも出演。

 ☆馬場源太郎
 大谷あずさの母方の祖父。あまりの奇行ゆえ、文豪座の文芸部員を追われる。

 ☆美作六助
 文豪座出身の俳優。源太郎の親友で、かつてあずさが所属した児童劇団『若者たち』の主宰者。古畑組の一人。故人。

 ☆辰新太朗
 日本を代表する映画スター。『藪医者』出演で古畑と対立する。故人。

 ☆花房悟朗
 俳優。児童劇団『若者たち』で研鑽したのち、辰の弟子となる。『あんたがたどこさ』に出演。

 ☆金庭円内
 芸能プロダクション金庭プロ会長。浅草軽演劇時代から、有馬頓馬を敵視する。

 ☆小須田圭亮
 フリージャーナリスト。金庭の指示で、朝比奈光陽の薬物所持問題を厳しく追及する。

 ☆纐纈大八
 政治結社大日本大同団結社首領。東洋哲学者、陽明学者にして、日本政界の黒幕。

 ☆外木場道郎
 内務大臣。纐纈大八が主宰する研究会「日本の世を糺す会」の幹事。

 ☆伊勢貞睦
 警視庁特命特務課警視正。間部裕次郎のかつての上司。

 ☆三谷準
 戦前の名編集長。のち、作家となる。故人。

 ☆水無瀬陣平
 水無瀬準の祖父。作家志望で、三谷準を慕う。故人。

 ☆櫟康隆
 清隆の祖父。元公爵。1949年に謎の死を遂げる。

 ☆櫟秀隆
 清隆の大叔父。元伯爵。日本のオーケストラの生みの親の一人で、愛称は「親方」。故人。

 ☆桝川義英
 科学者。日本科学者平和会議議長。又四郎に襲撃される。

 ☆北条雅美
 『あかいはた』記者。

 ☆百合根徹
 作家。秀隆の弟直隆の養女だったことがある。『あかいはた』に「続・日本の青い霧」を連載する。

 って、ますます荒唐無稽、ならぬ狂頭夢傾に拍車がかかってきたような。
 はてさて、いったいどういうことになるのやら…。
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2009年01月27日

『カルタ遊び』の途中経過

 ちょこちょこと書き進めている『カルタ遊び』という戯作が、やっとのことで20章、原稿用紙55枚分に到達した。
 そこで、手の内を明かす、と言うよりも、自分自身の「交通整理」のために、各章、いったいどんな人物のポルトレイトになっているかを簡単に記しておこうと思う。

 1:木佐貫康一
 立志館大学経済学部3回生。

 2:三池守
 立志館大学文学部3回生。康一の友人。

 3:櫟清隆
 謎の男。

 4:漆原奈津子
 立志館大学国際交流学部3回生。康一の恋人。清隆となんらかの関係あり。

 5:大谷あずさ
 立志館大学文学部3回生。奈津子の友人。元子役スター。

 6:水無瀬準
 立志館大学文学部准教授。英米文学研究者。

 7:間部裕次郎
 タクシー運転手。元警視庁特命特務課刑事。

 8:槌田永生
 劇団MOBO主宰者。脚本家。テレビドラマ『あんたがたどこさ』の脚本を担当。

 9:木佐貫美佐子
 康一の母。『あんたがたどこさ』にはまる。

10:朝比奈光陽
 若手人気俳優。ファニー・カンパニー所属。薬物所持で『あんたがたどこさ』を降板。

11:二宮ひな子
 守の下宿、衣笠寮の管理人。

12:石母田七瀬
 帝都日報社会部記者。

13:有馬頓馬
 ファニー・カンパニー社長。

14:小林弥栄
 女優司八重子。頓馬の妻。早世。

15:四方晴子
 芸能プロデューサー。司八重子の後ろ盾にして親友。

16:木佐貫葉子
 康一の叔母。七瀬の親友。

17:宮路又四郎
 元高校教諭。政治結社大日本大同団結社会員。

18:八木沢茜
 図書館司書。七瀬、葉子の親友。

19:杉崎千加
 新橋ガード下の飲み屋「おちかさん」の店主。

20:西浦朋樹
 立志館大学文学部3回生。光陽の高校時代の友人。

 いやはや、ほんと荒唐無稽というか、狂頭夢傾というか…。
 はてさて、これからいったいどんな展開をたどっていくのやら。
 我ながら、頭を悩ましているところではあるのである。
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2008年09月08日

『鳥の日記』の執筆中断に関する弁

 昨夜、旧い友だちから個人創作誌『赤い猫』に収録した二つの作品、『愛書狂』と『そこは私の席だ』に関する詳細かつ適確な指摘を得たこともあり、『鳥の日記』の執筆をいったん中断することに決めた。
 原稿用紙に換算すると96枚、ここ二ヶ月ほど書き進めて来た作品ではあるが、創作面における自分自身の根本的な課題を解消することなく漫然と執筆を続けても、納得のいく形で完成させることは出来ないと判断したためである。
 もちろん、これで『鳥の日記』の全てを破棄するということではなく、作品の構成、構造等々を再検討した上で、新たに執筆を開始しようとも考えている。
 一歩前進二歩後退、ならぬ一歩後退二歩前進の心づもりで、次回の執筆に備えたい。
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2008年08月20日

『鳥の日記』に関する自分自身のためのノート

 いわゆる「原典」が手元にないので、詳しい理由に関しては省略するが、保坂和志は『書きあぐねている人のための小説入門』<草思社>の中で、日記形式の小説を書くのは避けたほうがよいと、小説を書きあぐねている人たち、小説を書こうとしている人たちに助言している。
 その助言が即全ての人たちに当てはまるかどうかはひとまず置くとして、少なくとも保坂和志の小説というものに対する志向や思考、嗜好、さらには試行を考えれば、確かにそれはその通りだと、僕は大いに首肯することができる。

 が、である。
 そんな「物わかり」のいいはずの僕が、『鳥の日記』なる日記形式の小説をこの一月半ほど書き続けているのだから、世の中どうにも面白い。
 むろん、僕の中に保坂さんに対して喧嘩を売ろうなんて意識はこれっぽっちもなくて、ただただ鳥が小さからぬ役割を果たす日記形式の小説のアイデアがひょこっと浮かんで来たので、ほいほいすいすい僕は書き始めただけなのだ。

 ただ、そこには、去年から今年にかけて、ある種黒船来航じゃないけれど、「自分を開く」作業を積極的に行わなければならなかった、なおかつ、行いたいと思った僕自身の意識の変化が大きく関係していることも、僕はやはり否めない。
(個人誌『赤い猫』の発行だって、僕のこの意識の変化の表れの一つだ)

 と、言っても、僕がそのまま「自分自身」をストレートに表現するには、まだまだ時間がかかる。
 と、言うか、「自分自身」をそのまま語るよりも、僕は物語(フィクション)を造り出し、それを物語ることのほうにより喜びと生き甲斐を感じる人間なのだ。
 だから、日記形式と言えども、結局嘘丸出しとなる。

 一例として、4月5日(火曜)の分を挙げると。
>モリャキとエネルブロの間で大規模な鉄道事故が起きる。死者は400人を超えると。原因は現在のところ不明である。
 午前中、リディアが大量のコピーミスをおかす。彼女らしくないミスだ。
 帰りがけ、チェルケットの店で万年筆のインクを購入する。昨晩、日記を書き終えたところでちょうどカートリッジがなくなってしまったため。チェルケットの店は相変わらず黴臭い。
 『言うほど不味くない!』を読んでいて、急にライスプディングが食べたくなった。
 今夜も、路上で男が意味不明な言葉を叫んでいる。金貨一千枚で生ハム十年分食べられると思ってるんだとしたら大きな間違いだだとか、テニス選手はアルマジロ、サッカー選手はゴルゴンゾーラだとか。非常に気持ちが悪い<

 また、5月8日(日曜)の日記はこのような具合。
>正午過ぎに外出し、カポレット座まで、ごった煮レビュー『百人姉妹』を観に行くが、あまりのひどさに休憩前で退席する。座主のゴーマット氏から案内を受けていたため足を運んだのだけれど、準備不足というか何というか、胸くその悪くなるような出来の悪さだ。特に、ナスターシャを演じたミイナ・ボウエルという新入りの女優の不愉快なこと。観ていて、いらいらが募る。だいたい、不愉快な役柄は不愉快さ丸出しに演じればよいというものではない。もちろん、演出のゴーマット氏の責任も大きいが、本人の認識不足がまずもって問題だろう。
 腹立たしいので、カフェ・マーゴでエスプレッソを3杯続けて飲む。ここのエスプレッソは、本当に美味しい。
 夕食後、オッコ・タンペレの短篇集を読了する<

 まさしく、嘘丸出しだ。

 でも、僕のブログ、CLACLA日記を継続的にお読みの方ならば、この『鳥の日記』が僕自身の投影・反映であることも、十二分にご理解いただけるのではないか。
(中欧のある国という設定は、カフカやカレル・チャペックからの影響によるものだが、当然、清沢洌の『暗黒日記』<岩波文庫>や林光さんの『歌の学校』<晶文社>、筒井康隆や小林信彦、殿山泰司の一連の日記作品との関係性を指摘することもまた容易だろう)

 なお、上述した一部からもわかるように、この『鳥の日記』では、もしその設定をとるのであれば(絶対に)必要とされるものがことごとく避けられている。
 これは、僕も書き始める前に相当悩んだところなのだけれど、僕はあえて全てを避けてしまうことにした。
(もしそれをそうするのであれば、それは「徹底」してそうしなければならないことだ。中途半端では、全く意味がない)

 いずれにしても、僕は『鳥の日記』を書きながら、「自分自身」や「私」ということ・ものと、真正面から向き合うことを余儀無くされている。

 ところで、『鳥の日記』と言いながら、その鳥は、いつになったら登場するのか?
 残念ながら、それは今の僕にはわからない。
posted by figaro at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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