巷の流行にはとんと疎いくせに、自分が直接触れたものにはすぐさま影響されるというのが、当方の悪い癖。
今日も今日とて、斎藤美奈子の書評集『本の本』<筑摩書房>を読んで、なんぞ自分の大好きな本について記してこましたろうとたくらむ始末。
が、そこは筆力のない者のかなしさ、いっこうに納得のいく文章が思い浮かばない。
と、言うことで考えついたのが、手垢がつくほど読み返し読み倒した愛読書の中から、好き勝手得手勝手に引用してみせるということ。
まさしく、脈絡のない抜書きで、その点ご容赦ご寛容のほど。
>そんな気がするだけだよ……。
われわれはいないんだ、この世にはなんにもありゃせんのだ、ただ存在しているような気がしてるだけなんだ……。
どっちにしたって同じことだよ!<
(『チェーホフ全集』11<ちくま文庫>所収、『三人姉妹』第四幕、チェブトゥイキンの台詞より)
>作家の誠実さとは生き方なんかではない。生き方や態度や社会的発言の<誠実さ>は、とりあえず、疑ってみる必要がある。
語りたいこととかある思い(フット・フェティシズムでもなんでもいい)を一つの幾何学的な物語に組み立てること、読者にあたえる効果を考えながらエピソードの順序を入れかえること、語り手をどうするか(一人称か三人称か)を考えること、伏線をフェアに張ること、眠る時間を削って何度も細部を考え、ノートを書きかえること 作家の誠実さとはそれしかない<
(小林信彦『小説世界のロビンソン』<新潮文庫>、第三十三章「作家の誠実さとはどういうものか」より)
>家でつくったホットケーキは、くずれたってうまけりゃいいじゃないか、自分がつくったことによって楽しむのであり、それを自分が食うことによって喜びを得、他人に食わせることによってもう一つの喜びを味わう。
(中略)けれども、金を取って聞かせるのだったら、そうはいかない。ただ自分が楽しんでいるだけではいけない。くずれたホットケーキは売れないし、お砂糖が入り過ぎていても、ちょっと味がおかしくても売り物にならない。人に売るためには、プロとしての自負心と、それに耐え得る商品価値を身につけなければならない。
そのためには、幾歳月の努力と精進が必要なのだ<
(山本直純『オーケストラがやって来た』<実業之日本社>、第3章「音楽家になるのはたいへんだ」より)
>自然、私自身のクリティシズムは、結局自己批判である。
批判の対象をどんなものにとっても、帰するところは、頭を下げれば自分に頭を下げているのであり、唾を吐きかければ自分に吐きかけているのである<
(『長谷川如是閑評論集』<岩波文庫>所収、『「リットル・クリティックス」』より)
>批評家の名誉は、愛情や理解ではなく、容赦ない鋭利さ、つまり残酷さの中にこそあると私は考えている。ナイフの一閃で対象の急所をえぐって見せる、それが批評家ならではの最高の芸のはずである。
(中略)私に言わせれば、「知り合いだから褒めていやがる」、これ以上に批評をおとしめる言葉はない。なぜなら、評論家は、寛大や親切や思いやりといった人間的な美徳を捨てることを出発点にしなければならないからである。それでは良心がうずいて仕方がないというのなら、批評など書いてはならない。
善良な人向けの職業は他にいくらでもある<
(許光俊『問答無用のクラシック』<青弓社>所収、「大野和士の『エレクトラ』」より)
>芝居のコンヴェンションをマスターしていない劇作家のものは、難しくてつまらないものが多い。
これに反して、コンヴェンションを会得している奴の作品は、ひどくマジメな作品でも、面白くなり、こちらに通ずるものがあり、引きつけられる<
(林達夫、久野収『思想のドラマトゥルギー』<平凡社ライブラリー>、十「演劇変相之図」より)
>オペラを楽しむのに、難しい理屈はいらない、とよくいわれます。
おまえはどう思うか、と私はよくきかれます。
私は、こう答えます。
楽しいオペラを観ながら、それについてあれこれ理屈をこねるのが、いちばんすばらしい、と<
(林光さん『日本オペラの夢』<岩波新書>より)
>いかに革命に関する本を読み、革命について論じ、革命とともに生死をともにするようなふりをしてみたところで、しょせん、同情者は、同情者にすぎないのだ<
(『花田清輝評論集』<岩波文庫>所収、『美味救世』より)
>友情。信頼。私は、それを「徒党」の中に見たことが無い<
(太宰治『もの思う葦』<新潮文庫>所収、『徒党について』より)
>馬鹿につける薬はない。
馬鹿は結局馬鹿なことしかしでかさない。
迷惑するのは良識ある人々である。
ここに言う馬鹿が誰のことを指しているかは、諸君の判断にお任せして、私からは言わないことにしておく<
(『林達夫評論集』<岩波文庫>所収、『鶏を飼う』より)
>日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとかいって戦争を讃美してきたのは長いことだった。(中略)戦争は、そんなに遊山に行くようなものなのか。それを今、彼らは味わっているのだ。だが、それでも彼らが、ほんとに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。(中略)彼らは第一、戦争は不可避なものだと考えている。第二に彼らは戦争の英雄的であることに酔う。第三に彼らに国際的知識がない。知識の欠乏は驚くべきものがある。
当分は戦争を嫌う気持ちが起ころうから、その間に正しい教育をしなくてはならぬ。それから婦人の地位をあげることも必要だ<
(清沢洌『暗黒日記』<岩波文庫>、1945年1月1日条より)
>母性愛は人間的感情にほかならない。
あらゆる感情と同様に、不安定で、もろく、不完全なものである。
一般に浸透している考えとは反対に、おそらく母性愛は、女性の本性に深く刻みこまれているわけではない<
(エリザベート・バダンテール『母性という神話』<ちくま学芸文庫>より)