佐藤亜紀の『1809 ナポレオン暗殺』<文春文庫>を再読し終えた。
文庫本巻末に記した初読時読了の日付は、2000年の8月14日だから、ほぼ8年ぶりの再読ということになるが、最初に読み終えた時同様、いやそれ以上に、僕は感嘆せざるをえなかった。
作品の結構、展開等々については、福田和也が解説で詳しく語っているので、屋上屋を架すような真似はしないけれど、巧みに巧まれた物語の素晴らしいこと素晴らしいこと。
知識が単なる知識蘊蓄として垂れ流されるのではなく、作品世界を豊かにし堅固にするための土台・背景として存在していることも見事だし(西洋史の知識が豊富な作家は他にもいるが、残念ながら佐藤亜紀と比べると、「小説」としてちっとも面白くない。そう言えば、その作家、佐藤さんと「同じ名前」だったんだ)、佐藤亜紀のその他の作品とも共通する、ある種清々しい余韻も強く印象に残る。
そして、今回の再読で、この『1809 ナポレオン暗殺』とモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の深い関係を確認し直せたことも、僕にとっては大きな収穫だった。
ただし、『ドン・ジョヴァンニ』との関係は僕自身の発見ではない。
作中、『ドン・ジョヴァンニ』はしっかりと「登場」しており、主人公の一人であるウストリツキ公爵をして「この世界がこの先何世紀保つかは知らないが、あれ以上のオペラなど存在しないよ」と言わしめている。
(だから、作品の幕切れ間近でこのイタリア語が堪能なウストリツキ公爵が口にする「自由」という言葉は、ドイツ語のフライハイトでもフランス語のリベルテでもなく、『ドン・ジョヴァンニ』の中で万歳=ヴィヴァと称えられる「リベルタ」だと僕は思う)
いずれにしても、この『1809 ナポレオン暗殺』が知情意の三拍子揃った優れた文学作品、読み応えのある面白い小説であることに間違いはあるまい。
再読して本当によかったし、大いに満足がいった。
posted by figaro at 12:10|
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