☆小澤征爾音楽塾コンサート 〜若き塾生たちの協演〜
指揮:Huang Yi、齋藤友香理、三ツ橋敬子、Yu Lu
独唱:藤谷佳奈枝、清水華澄、浅井美保
管弦楽:小澤征爾音楽塾オーケストラ
会場:京都コンサートホール大ホール
座席:3階LC−2列2番
恩師斎藤秀雄譲りのものだろうか、それとも生来のものだろうか、1994年に発行されたONTOMO MOOK『小澤征爾NOW』を捲っていてもそう思うが、小澤征爾という人は、後継者の育成に対して驚くほどの熱意を傾けている。
母校桐朋学園の後輩たちへの積極的な指導もそうだし、若い音楽家たちにオペラの演奏を経験させようと2000年からスタートさせた「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」などその最たる表われの一つだといえる。
現在のヨーロッパにおける演奏解釈の潮流から考えれば、その選曲や演奏スタイルには若干の疑問を僕は感じないでもないのだけれど、小澤征爾の強い熱意そのもには疑うべき点はないとも感じている。
で、今日は体調不良から海外でのコンサートをキャンセルしたと報じられた小澤征爾が、無理を押して肝入りを果たすという「小澤征爾音楽塾コンサート 〜若き塾生たちの協演〜」を、京都コンサートホールまで聴きに行って来た。
個人的には、齋藤友香理と三ツ橋敬子(昨年、アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクール優勝)という二人の新進気鋭の指揮者の指揮ぶりを目にし耳にしておきたいという心づもりもあってのことだったのだが、ホールに入ってぜいたくなつくりの公演プログラム(さすがはローム協賛!)を開いて驚いた。
なんと、中国からやって来たHuang Yi(黄と、山へんに乞)、Yu Lu(兪と、さんずいへんに路)の二人が加わって、もともとの演奏曲目、フンパーディンクの歌劇『ヘンゼルとグレーテル』のハイライトと、ベートーヴェンの交響曲第5番を四人で振り分けるというのである。
ありゃりゃりゃりゃ。
こちらは齋藤さんの「ヘングレ」と三ツ橋さんの「運命」を愉しみにしてきたのに、なんだいこりゃ。
いくら小澤征爾が満洲の地で生れ、父開作氏の志を受け継ぐ人物であることは承知していても、突然のこの変更(てか、割り込み)はあんまりじゃないか。
と、言っても、何も僕は反中や嫌中を決め込みたいわけではない。
せっかくのコンサートなんだから、一人一人、きちんと何か一曲ずつでも振らせりゃいいだろうに、と思ってしまったのである。
例えば、フンパーディンクつながりでいえば、ワーグナーの序曲や前奏曲(10分〜15分の曲。ジークフリート牧歌もあるな)をそれぞれ振らせるなんて、小澤征爾音楽塾の趣旨にもけっこう適ってるんじゃないのかな。
まあ、休憩明けの小澤さんのべしゃりの達者さに、「運命」の四人まわし、じゃない四人振り分けもそれほど気にならなくなったけどね。
(そういえば、コンサートの作法に慣れぬオケや指揮者の面々に出はけの合図を客席から送っていた小澤さんが面白かった。やっぱり小澤さんは面倒見がいいなあ)
プログラムの前半は、『ヘンゼルとグレーテル』から序曲(Huang Yi)、第1幕のヘンゼルとグレーテルのかけあい並びに前奏曲(齋藤友香理)、魔女の登場と、ヘンゼルとグレーテルが魔女を退治するあたり(三ツ橋敬子)が演奏されたが、ここでは歌い手たちも加わった、齋藤さんと三ツ橋さんの分が実に愉しい聴きものになっていた。
特に、齋藤さんや三ツ橋さんの細かい表情づけに加え、ヘンゼルの清水華澄とグレーテルの藤谷佳奈枝の澄んで伸びと張り(声量)のある美声もあって、『ヘンゼルとグレーテル』がワーグナーにどれほど影響を受けた作品であるかがよくわかったのは、大きな収穫であった。
兄と妹の二重唱なんて、まさしく…。
また、魔女の浅井美保もコメディエンヌぶりをいかんなく発揮していて愉快痛快。
(余談だけど、15年ほど前のケルン滞在中、このオペラをケルンの歌劇場で観たと、現地のある人=ユダヤ系にあらずに話したところ、「あんなけったくその悪い話…」としかめ面されたことがあったっけ。その気持ちもわからないではない)
後半は上述のごとく、「運命」の四人まわし、じゃない四人振り分け。
第1楽章は、Huang Yiと三ツ橋敬子の計2回。
三ツ橋さんのシャープでぎゅっと引き締まった感じの演奏に対し、Huangさんは昔の巨匠風というか、少し粘った感じのする演奏。
第2楽章は齋藤友香理の指揮で、音の輪郭を明確に表わす丹念な音楽づくりだったが、しめの部分がところどころ甘いような気もしないではなかった。
第3、第4の両楽章を受け持った、バレーボールの選手のように長身のYu Luは「体は演奏を表わす」とでも言いたくなるような、大柄で力強い指揮ぶりで、その分肌理の粗さはありつつも、大男総身に知恵はまわりかね式のもっさい演奏にはなっていなかった。
学生主体の小澤征爾音楽塾オーケストラは、プロのオーケストラのような機能性には欠けるものの、若い指揮者たちによく添った、真摯な演奏を行っていたと思う。
(指揮者が変わるたび、ファーストとセカンドのヴァイオリンをはじめ、パートごとに楽員が場所を交替していた点も、コンサートの趣旨を考えれば大いに納得がいった)
それにしても、できることなら小澤さんの指揮で何か一曲聴きたかったなあ。
無理を承知で言えば。