昭和の世代論の快作、坪内祐三の『昭和の子供だ君たちも』<新潮社>を読んだばかりなせいか、3月30日に胃癌のために亡くなっていた蟹江敬三の生年月日(1944年10月28日)を確認して、ああこの人もまた時代を象徴するような生き方をしていたのだなあと改めて痛感した。
蟹江さんは東京都の出身で、都立新宿高校卒業後、劇団青俳に入団し本格的な演劇活動を始めたが(当時の新宿高校は超進学校の一つで、蟹江さんが大学に進学せずに青俳を選んだ点も実に興味深い)、その青俳で出会った演出家の蜷川幸雄や俳優の石橋蓮司とともに青俳を脱退し、現代人劇場を結成する。
青俳では適わなかった、清水邦夫(そういえば、夫人の松本典子も亡くなったばかりだ)の戯曲『真情あふるる軽薄さ』を蜷川演出で上演することがその大きな理由ではあったのだけれど、そこに固定化された劇団運営に対する強い反発があったこともまた当然の事実だろう。
そして、その『真情あふるる軽薄さ』で、蟹江さんは反抗精神もあらわな、真情あふれる軽薄さを持ち、結果権力によって圧殺される青年を好演した。
以降、現代人劇場から櫻社と劇団組織は変わりつつも、蟹江さんは清水邦夫と蜷川幸雄の過激で痛切な政治劇で重要な役割を果たし続けたが、政治の時代の終焉(蜷川幸雄の商業演劇での活動開始が表面的な要因とされているが)とともに、櫻社は解散してしまった。
と、見て来たように記してはいるが、こういった諸々については、扇田昭彦の名著『日本の現代演劇』<岩波新書>の第一章「4 闘う叙情」や、その頃の実際の舞台に接していたある人(彼は、正統派左翼=日本共産党ってこと、に籍を置いていた人で、彼彼女らの「活動」には否定的な見解を示していた)の昔話といったあとづけの知識によるものだ。
物心ついた僕にとって蟹江敬三といえば、ブラウン管やスクリーンの中での、あの陰湿でぬめっとして凶暴で、それでいてどこか滑稽で、でも心身ともに怒りや憤り、狂気をためたような姿が強烈に印象に残っている。
野村芳太郎監督の『鬼畜』(ラストの緒形拳だけでも必見の邪劇)でのなんとも胡散臭い男だとか、勝新太郎の『御用牙』シリーズでの情けない役回り(早世した草野大悟とのコンビ。勝新は、こういった当時の若手演劇人を巧く起用している)だとかも忘れられないけど、もっとも怖さを感じたのは、『Gメン75』で若林豪(CXのドラマで復活)と島かおり(可憐な人だったが、『キッズ・ウォー』ではどこかネジの外れた姑役を熱演していた)を執拗に追い詰める殺人鬼、望月源治だった。
これはドラマだ、フィクションだとわかっているからこそ、この人は凄いなと子供心に感嘆し感心したものである。
その後、時代の変化や年齢を重ねたこともあってか、蟹江さんは、そうした人間の負の部分は残しながらも、人柄の善さやおかかなしさ、がさつさを装っているがその実非常にナイーブで神経質な感じを押し出し、さらに幅広い役柄を演じるようになっていく。
中でも、演劇的な経験という蟹江さん本人の人生と、盗賊から密偵への「転向」という演じる役柄の人生とが密接に重なり合う『鬼平犯科帳』の小房の粂八は、蟹江敬三を代表する当たり役の一つと言っても過言ではあるまい。
それにしても、現代人劇場や櫻社はもちろんのこと、竹下景子、成田三樹夫、嶋田久作という物凄い顔触れが揃った『ハロルド・ピンター・コレクション』(小田島雄志の『舞台人スナップショット』<朝日文庫>の竹下景子の章をご参照のほど)、あの風船おじさんを演じた一人芝居『風船おじさん』(山崎哲作)と、蟹江さんの生の舞台に接することができなかったのは、悔やんでも悔やみきれない。
なお、長女(栗田桃子)、長男(蟹江一平)ともに、演劇活動を行っている。
深く、深く、深く、深く黙祷。
そうそう、蟹江さんの声の良さを知るという意味で、三島由紀夫の『真夏の死』の朗読を挙げておきたい。
読みの端整さも見事だけれど、蟹江さんの繊細さを透かし聴くことができるような点でも聴いて損のない朗読だ。