2013年06月25日

月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』(再見)

☆月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』(再見)

 作・演出:作道雄
(2013年6月24日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)


 初日に続いて、月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』の最終公演を観た。

 基本的な感想は、初日の観劇記録に譲るが、公演を重ねた分作品の要所がより明確になって笑いも増えていた反面、楽日ということもあってか、演者陣の疲れ、粗さも散見されたのは残念だった。
 そうした中で、丸山交通公園の奮戦ぶりが目を引いた。
 久方ぶりの友達図鑑の公演が、すこぶる愉しみである。

 で、まだ大阪公演を残していることもあり、作品の詳細については触れないけれど、初日の観劇記録にも記した通り、この『オレンジのハイウェイ』は、卓越したプロデュース能力の持ち主でもある作道雄の創作的志向と彼が考える月面クロワッサンの今後の方向性が如実に示された作品だと思う。
 そして、これまた初日の観劇記録に記したように、作道君の望む月面クロワッサンのステップアップのあり様を考えれば、彼がそうした志向と方向性をとることと、それに見合った演技を演者陣に求めることも十二分に理解できることである。

 ただ、それが果たして『オレンジのハイウェイ』という作品全体に、演者陣の演技に、巧く反映されていたかと問われれば、この京都公演に関してはまだ不完全な状態だったと言わざるをえない。
 むろん、そこには作道君の希求する作品世界に沿った演技を完璧には実現し得ない、現段階での演者陣の技術的な限界もあるだろう。
 だが一方で、演者陣の表面的ではない内面的特性と本質を今一つとらまえきれていない『オレンジのハイウェイ』のテキストと演出の問題も、やはり指摘しておかなければならないのではないか。
 確かに、先日の明倫ワークショップでも示されたような、作家・演出家の要求に柔軟に対応できる演技へのシフトチェンジが意図的に図られていることも事実だろうが、もしそうだとしても、いやだったらなおさらのこと、個々の演者への総合的で丁寧な評価に基づいた作品づくりが行われるべきだと、僕は思う。
 例えばそれは、ヲサガリや十中連合での小川晶弘より月面クロワッサンでの小川晶弘が光って見えるような、努力クラブでの稲葉俊より月面クロワッサンでの稲葉俊が光って見えるような作品づくり、と言い換えてもよい。
(ビジュアル面での印象や演技の質は置くとして、西村花織と森麻子の役回りは逆でも面白いのではないか。そうそう、偶然二人が出演しているので付け加えておくと、しようよの大原渉平君にも、こうした「逆転」を求めたい女性の演者のキャスティングを行っているときが時折あるような気がする)

 以前、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の喩えを、月面クロワッサンの観劇記録で持ち出したことがあったけど、それこそ作道君がみんなのためを思い、みんなと一緒に「細くない」蜘蛛の糸を昇っていこうとしても、「いやいや、そんなに慌てて昇らんでも」、「こんなの昇って大丈夫なの」、「いやあ、作道とは昇りたくないよ」となっては、せっかくの作道君の努力も水の泡となる。
 KBS京都のドラマ放映をはじめ、今後の可能性が徐々に開けているときだからこそ、月面クロワッサンという集団内での強固な共通認識の形成と緊密な意思疎通、そしてそれを受けての作品づくりを心から願ってやまない。

 最後に、限られた舞台空間を巧く活かした舞台美術(栗山万葉、南秋穂の補佐)が強く印象に残ったことを付記しておきたい。
posted by figaro at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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