はれて44歳となった。
と、言うことは、50歳まであと6年しかないということだ。
一日一日を本当に大切にしていかなければ。
そして、絶対に死を忘れないこと。
多くの方々より、お祝いのメールやメッセージをいただきました。
心より感謝をいたします。
本当にありがとうございます。
雨天。
雨降りの一日。
これも恵の雨と信じよう。
気温は上昇せず。
ただし、湿度が高い分、じめ涼しい感じが強く、思ったほど快ならず。
皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。
昨夜日付けが変わってから、駒村吉重の『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』<山川出版社>を読み始める。
ダダイスト辻潤と、伊藤野枝(大杉栄と結ばれ、虐殺されたあの)の長子として生まれ、イラストレーションや文筆稼業を生業としつつ、その独特な人柄で多くの人々を惹きつけた辻まことの生涯について追った一冊。
タイトルは辻まことが、山を愛し、山にまつわる画文集を遺したことからそうつけられた。
それにしても、まま「いったい何者?」と問われ続けている自分という人間が、何かに固定し固定されるのではなく、「自由」に生きようとした辻まことの人生にちょうど44回目の誕生日に触れ始めるとは、正直驚きであるのだけれど、僕自身には残念ながらまだ辻まことのような覚悟は持てていない。
「何者?」と呼ばれることに開き直れず、ひとっことに徹する人たちに強い尊敬の念と後ろめたさを抱き続けているのだ。
その後、3時半近くまで仕事関係の作業を進める。
せっかくの誕生日、フランス出身のソプラノ、パトリシア・プティボンがイヴ・アベル指揮リヨン国立歌劇場管弦楽団の伴奏で歌ったフランス・オペラ・アリア集『フレンチ・タッチ』<DECCA>、ピアノのファジル・サイが弾いたハイドンのピアノ・ソナタ第37番、第43番、第35番、第31番、第10番<naïve>とモーツァルトのピアノ・ソナタ第13番、キラキラ星(『ああ、ママに言うわ』)変奏曲、ピアノ・ソナタ第10番、第11番「トルコ行進曲付き」<WARNER>という、いっとう大好きなCDを続けて聴く。
『フレンチ・タッチ』は、プティボンの魅力が全開のはっちゃけたアルバム。
特にトラック13以降のいっちゃった3曲は、必聴だ。
一方、ハイドンとモーツァルトの2枚のCDは、ファジル・サイの活発闊達な演奏に魅かれる魅かれる。
何度聴いても愉しいCDである。
午前中午後と、仕事関係の作業を進めたり、『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』を読み進めたりする。
お昼過ぎに外出し、大切な予定をいくつかすませる。
ついでに夕飯をすませ、美味しいケーキを食することもできた。
ごちそうさまでした!
帰りがけ、タワーレコードでCDを購入し、21時半過ぎに帰宅した。
帰宅後、購入したばかりの芥川也寸志指揮旧東京交響楽団が演奏した芥川自身の交響曲第1番&交響三章、森正指揮旧東京交響楽団が演奏した同じく芥川也寸志の弦楽のための三楽章「トリプティーク」<EMI/タワーレコード>を繰り返し聴く。
実はこのCD、1987年に発売されたものを愛聴していたのだが、学生時代借りパクされて以来、ずっと手元にないままだった。
(その後、交響曲第1番と交響三章というLP本来の形で再発されたことはあったが、CD初出時のカップリングでは、25年以上ぶりのリリースとなる)
リマスタリングの力も大きいのだろうけど、まずもって感心したのは音質のよさ。
作品を識り愉しむという意味で、全く不満を感じない。
また演奏のほうも、例えば交響三章を湯浅卓雄指揮ニュージーランド交響楽団のNAXOS盤と比較すれば、確かにオーケストラの精度、音楽づくりのまとまりのよさではそちらに軍配を挙げざるをえまいが、切り込みの鋭さ、緊張感という点では、こちらも全く負けてはいない。
森正指揮の「トリプティーク」も、実にシャープな演奏で、聴き応え充分である。
これは購入して大正解だった。
仕事関係の作業を進めたり、『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』を読み進めたりする。
明日がいい日でありますように!
そして、これからの一年がいい一年でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。