2011年03月09日

クラシカル・オーケストラ京都の作業を集中して行う

 今日は、急な仕事の依頼があったものの、クラシカル・オーケストラ京都(COK)に関する作業が山積していたため断り、部屋で作業を集中して行う。
 残念だけれど、仕方がない。

 結局、夕方の買い物以外は外出しなかった。


 昨日に続いて、今日も気温は上昇せず。
 それでも花粉は飛び回っているようで、目の周りが痒く、時折くしゃみを連発する。
 やれやれ。


 息抜き代わりの読書。
 許光俊の『オレのクラシック』<青弓社>を読了し、中丸美絵の『オーケストラ、それは我なり』<文藝春秋>を読み始める。
 『オーケストラ、それは我なり』は、今は亡き朝比奈隆の評伝である。
 その音楽性に関してはひとまず置くとして、朝比奈隆なくして現在の大阪フィルはありえなかったのではないか、とつくづく思う。
 指揮者とオーケストラの関係については、COKに携わっていることもあって、どうしてもいろいろと考える。


 シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団他が演奏したドビュッシーの歌劇『ペレアスとメリザンド』全曲<DECCA>、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番、第16番〜第18番<ともにSONY/BMG>を断続的に聴く。
 『ペレアスとメリザンド』(それも全曲)を聴くのは、本当に久しぶりだ。
 作品の持つもわもわとした雰囲気がよく表われた演奏で、これはこれでけっこう気に入っているのだが、できればより明晰でかっちりした演奏のCDで聴いてみたいとも感じる。
(ただし、デュトワたちの演奏がいいかげんだと言いたい訳ではない)


 夕飯後、COKを中心に、企画関係の作業を進める。


 ニコラウス・アーノンクール指揮コンツェントゥス・ムジクス・ウィーン他が演奏したモーツァルトの歌劇『ルーチョ・シッラ』<TELDEC>の一部を聴く。
 CDとはいえ、やはり本物は違うなあと痛感する。


 今日は、甘いものは食さず。


 文芸評論家の谷沢永一が亡くなった(81歳)。
 関西在住ということもあり、テレビコメンテータとしての谷沢さんには慣れ親しんでいたが、文芸評論の業績に接するようになったのは、相当あとになってからだった。
 深く、深く黙祷。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figaro at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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