曇天。
少し青空も見えていたが、小雨がぱらついたりもするお天気。
気温は上昇せず、肌寒い感じが強し。
その分花粉症の出は少なかったが(昨夜は症状がひどかった)、それでも時折くしゃみを連発したりはする。
やれやれ。
今日は、夕方の買い物以外は外出せず、クラシカル・オーケストラ京都をはじめとした企画関係の作業(連絡作業も含む)に集中する。
クラシカル・オーケストラ京都開催まで、あと一週間となった。
より充実したワークショップとコンサートとなるよう、さらに作業を進めていかなければ。
ソプラノのルネ・フレミングとクリストフ・エッシェンバッハ指揮ウィーン・フィル他が演奏したリヒャルト・シュトラウスのオペラ・アリアとシーン集<DECCA>、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』&『ドン・ファン』<ドイツ・グラモフォン>、ジェイムズ・レヴァイン指揮ウィーン・フィル他が演奏したリヒャルト・シュトラウスの歌劇『ナクソス島のアリアドネ』の序幕<同>を断続的に聴く。
まさしくリヒャルト・シュトラウスづくしだが、彼の精緻で、決まるべきところに決まるべきことが決まった音楽をどうしても集中して聴きたくなったのだ。
で、フレミングのアルバムでは、好き嫌いは別にして、エッシェンバッハのあまりにもねっとりゆっくりとした音楽づくりが強く印象に残る。
例えば、大好きな歌劇『カプリッチョ』の「月の光の音楽」など、重苦しさを感じるほど。
作曲家の薫陶を受けたカール・ベーム(のバイエルン放送交響楽団との全曲盤)の淡々とした造形と比べてみれば、その表情づけの濃さがよくわかるはずだ。
(フレミングの歌は達者だとは思うが、正直僕の声質の好みからは大きく外れる)
カラヤンのツァラトゥストラとドン・ファンは、ベルリン・フィルの高い技量を全面に押し出した圧倒的な演奏。
特に、ドン・ファンのラストあたりの弦のざわめきは聴きものではないか。
『ナクソス島のアリアドネ』は、あえて序幕だけを聴く。
歌い手の中には好みに合わない人もいないではないものの、まずもって作品のおもちゃ箱をひっくり返したような、それでいて、その中に小粒の宝石がいくつも交ざっていて、きらきらと輝いているような感じがたまらなく嬉しい。
夕飯後、企画関係の作業を進め、小林恭二の『首の信長』<集英社>を読了する。
『首の信長』は、小林恭二の初期の作品集『日本国の逆襲』<新潮文庫>を想起させるような、日本史のエピソードを下敷きにした短編集。
筒井康隆(や小松左京)の影響も感じさせるSF的な展開で、小林さんの才智がよく表わされていると思う。
(同じような作品の書き手として、清水義範を挙げることができるだろうが、清水さんの場合、よい意味でも少し泥臭い感じがする)
ほかに、許光俊の『オレのクラシック』<青弓社>も読み進める。
いつものごとく許光俊節全開といったところだが、その言葉は至極真っ当だとも思う。
ソプラノのルチア・ポップがヴォルフガング・サヴァリッシュのピアノ伴奏で歌ったリヒャルト・シュトラウスの歌曲集<EMI>を聴く。
鈴麗とでも評したくなるようなポップの伸びやかな歌声と、リヒャルト・シュトラウスの機智に富んだ音楽が本当によく合っている。
サヴァリッシュの伴奏も見事だ。
今日は、ブルボンのプチ・シリーズから、ココアビスケットを食す。
グルメシティで、40パーセント引き、税込み46円だったもの。
バニラクリームを挟んだ小ぶりなココアビスケットで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
指揮者の宇宿允人が亡くなった(76歳)。
宇宿さんといえば、今では伝説の指揮者となってしまったが、もともとは京都の出身で、NHK交響楽団のトロンボーン奏者を務めたのちは、大阪フィルの指揮者、さらには関西フィルの前身・ヴィエール室内合奏団(その後、ヴィエール・フィル)の創設と、一時期関西を中心に活躍した人物だった。
なお、ヴィエール・フィルとの関係についてなど、宇宿さんに関しては、様々な方からいろいろとうかがったことがあるが、ここではあえて記さない。
深く黙祷。
前原外相の辞任について、どうもマスコミの論調は同情論のほうに傾いているのではないか。
確かに、今回の問題そのものに関して大騒ぎすることには賛成じゃないけれど、前原氏の外交政策や政治姿勢には疑問を抱いている人間からすると、何か裏がありそうに思えて仕方がない。
無邪気さも、度が過ぎると、ただの脳天気だ。
自省あるのみ。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2011年03月08日
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