遊劇体の精華小劇場における最後の公演だからというだけではなく、今は亡き中島陸郎が自らの演劇体験を正面からぶつけた作品(そこにはあの内田朝雄をモデルとする人物も重要な役回りで登場する)ということもあって、どうしても観ておきたかったのだが。
体調があまり芳しくないことに加え、クラシカル・オーケストラ京都(COK)に関する作業もあったりして、どうしても観に行くことができなかった。
(一つには、休憩なしで3時間弱の上演と勘違いしていて、土曜の昼の回を観逃してしまったことも大きい。あとで他の方のブログなどを目にし、休憩があることを知った)
本当に残念無念。
悔しくて仕方がない。
気温が低めということもあってか、昨日ほどには花粉症の症状は出ず。
それでも、目の周りは痒いし、時折くしゃみを連発したりもするが。
やれやれ。
今日は、夕方の買い物のほか、お昼過ぎに外出し、下京図書館まで足を運ぶ。
で、有馬哲夫の『アレン・ダレス』<講談社>と伊藤之雄の『伊藤博文』<同>、『レコード芸術 月評特選盤1980−2010 交響曲編』上下巻<音楽之友社>を返却し、予約しておいた許光俊の『オレのクラシック』<青弓社>、小林恭二の『首の信長』<集英社>、中丸美絵の『オーケストラ、それは我なり』<文藝春秋>、正森成二の『質問する人 逃げる人』<清風堂書店>を新たに借りる。
その後、室町通のストアデポで仕事関係の買い物をすませ、帰宅した。
企画関係や仕事関係の作業を進めたほか、図書館からの帰宅後、早速『首の信長』と『オレのクラシック』を読み始める。
フォルテピアノのメルヴィン・タンが弾いたベートーヴェンのソナタ第1番〜第3番、シューベルトのソナタ第20番&第21番、ベートーヴェンとシューベルトのクラヴィーア作品集<いずれもEMI>、ヘルマン・シェルヘン指揮ルガーノ・スイス・イタリア語放送管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第4番&第5番<PLATZ>を断続的に聴く。
メルヴィン・タンは叙情性に富んだ音楽を奏でるが、技術的な問題もあってかどこかぎくしゃくとした感じがすることも否めない。
(もしかしたら、彼がモダン楽器に「転向」した理由もそこら辺りにあるのではないか)
そういった意味で、シューベルトの楽興の時やベートーヴェンのエリーゼのためにが収められたベートーヴェンとシューベルトの作品集をもっとも愉しく聴くことができた。
と、言うのも、作品の持つ優美さやリリカルな表情がよく表わされているように感じたからだ。
また、ベートーヴェンのソナタでも、ロマン派の萌芽のようなものが巧く表現されていて、非常に興味深かった。
一方、シューベルトのソナタは、音色の美しさには魅きつけられるのだけれど、全体的にどこか素っ気ないというか、僕には今ひとつしっくりこない。
シェルヘンのベートーヴェンは、ライヴ特有の熱気がよく示されている(シェルヘンの唸り声!)。
ただ、演奏の粗さはまだしも、音質の粗さが気になることも事実だ。
夕飯後、企画関係の作業を進めながら、遊劇体の公演について思う。
ああ。
アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』&『ドン・キホーテ』<TELARC>、グレン・グールドが弾いたバッハのインヴェンションとシンフォニア<SONY/BMG>を続けて聴く。
今日は、東ハトのキャラメルコーン・ローストアーモンド味を食す。
昨日、ドラッグユタカで買っておいたもの。
(セールに加え、さらに15パーセントオフで、税込み57円だった)
ローストアーモンド風味のキャラメルコーンで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
信用できない人間というのは、どこまでいっても信用できない。
ということを痛感する今日この頃。
自省あるのみだ。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。