2011年01月24日

田上パル第10回公演『ミートくん』『アンヒビオ』

 皆さんは、田上パルという劇団をご存じだろうか。
 熊本出身で、桜美林大学に学んだ田上豊さんを中心に結成された団体で、2008年から3年間、富士見市民文化会館キラリ☆ふじみのキラリンク☆カンパニー(レジデンス・カンパニー)に選ばれた…。
 と、言ったことどもは、首都圏にお住まいの演劇関係者やシアターゴアの方たちならばとうにご承知のことかもしれないが、京都に住んで東京の小劇場事情にうとい当方は、恥ずかしながらこれまでその存在を知らずにいた。
 そんな田上パルの公演に今回出演するので、中瀬さんも観に来ませんか、と旧知の松田裕一郎さん(仕事の関係で、現在東京滞在中)からお誘いがあり、そこは一応芝居好きのはしくれ、喜び勇んでキラリ☆ふじものマルチホールまで、田上パルの第10回公演『ミートくん』、『アンヒビオ』(田上豊さん作・演出)を観に行って来た。

 で、出演者の体調不良のため、田上さん自身が急遽代役を果たすというスクランブル発進の初日初回、1月22日の夜の回を僕は観たわけだが、個人的には、はるばる東京、よりさらに遠く埼玉県の富士見市まで足を運んで大正解の公演だった。

 まずは、二本立ての前半『ミートくん』だが、こちらはチラシの「肉体を酷使する人生論」という惹句がストレートに表わされた一本で、もう一つ言えば、松田裕一郎という他の役者陣と一回り年齢の違う役者が座組みに加わったことから生まれた作品とも言えるだろう。
 未だ公演中なので詳しくは記さないが、役者の身体性(階段落ちは必見!)によって伝えようとすること(もしくは、そういった作品の構造・構図)が明確に示された内容で、終盤他の面々が松田さんを説得しようとする支離滅裂滅茶苦茶な動きと言葉に、曰く言い難い切実さと説得力を感じた。
 ただ、この作品の随所に仕掛けられた「笑いの種」の効果に関しては充分に認めつつも(実際、多くのお客さんから笑い声が聴こえていた)、それが笑いのための笑いではなく、道具としての笑いように強く思われたことに加え、上述した危機的状況の中で、本来意図している以上にぎくしゃくとした感じを覚えたこともあって、僕自身はあまり笑うことができなかった。
 役者では、松高義幸さん、平岩久資さん、安村典久さん、猪瀬青史さん、松田裕一郎さんの男性陣がまずもって魅力特性を発揮していたのではないか。
(松田さんは、後半意識が変化するところで、もう少しためがあってもいいかと思った)
 女性陣も好演で、特に角梓さんの存在感が印象に残る。

 休憩を挟んで後半は、『アンヒビオ』だが、いやあこれは面白かった。
 チラシによると、アンヒビオというのは、「幼児が自分で遊び方を考えなければならない変なブロック」の名称なんだそうだけど、まさにその名の狙いがどんぴしゃの、仕掛けたっぷり遊びもたっぷりな作品に仕上がっていた。
 これもまた詳しい内容については一切触れないが、「茶碗の中をのぞくと見知らぬ男がそこにいて、振り向くとおや不思議誰もいない…」といった趣きすらある展開で、田上パル十八番の熊本弁を駆使した家庭劇(そしてそれに、僕は同じ九州人として「俄」=今は亡きばってん荒川らのを思い出す)やら音楽劇やらの要素も意欲的に取り入れられていて、その「不思議な世界」を愉しみながら、僕はあれやこれやを想い考え感じることができた。
 ここでは、二宮未来さんが作品の鍵となっていて、その個性が最大限に活かされていたように感じた。
 一方、南波早さんは受けて立つというか、いわゆる「普通の人」を巧く体現していたと思う。
 そして男性陣や角さんも『ミートくん』に輪をかけて、その魅力特性を発揮していた。
(初日初回の緊急事態ということでトラブルもいろいろあったのだけれど、作品の造りもあって、僕には逆に面白く感じられたほどだった)

 いずれにしても、こうした計画された粗雑さ、「解体工事」のあとに、いったいどのような作品世界が創り出されていくのか。
 田上パルの今後の活動に大いに期待するとともに、ぜひとも関西(京都)でも彼彼女らの公演を観たいと僕は強く思う。
posted by figaro at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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