2013年03月31日

三月末日

 今日で3月も終わり。
 今年も残すところ、9ヶ月となる。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。
 そして、死を忘れないこと。


 昨夜、3時半頃まで仕事関係の作業を進める。


 朝早めに起きて、仕事関係の作業を進める。


 11時頃外出し、阪急(大阪市営地下鉄)を利用し、長堀橋へ。
 ウイングフィールドで、THE GO AND MO'Sの第7回公演『春子の夢』を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。


 行き帰りの電車内で、吉田秀和の『世界の指揮者』<ちくま文庫>の拾い読みをする。


 16時頃に帰宅し、ウィーン弦楽6重奏団が演奏したドヴォルザークの弦楽6重奏曲&弦楽5重奏曲第3番<EMI>を聴きながら、観劇記録の下書きをしたり、仕事関係の作業を進めたりする。


 で、まもなく外出し、シマフィルムオフィスでの企画に参加する予定だ。


 明日がいい日でありますように!
 そして、来月がいい月でありますように!
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THE GO AND MO'S 第7回公演『春子の夢』

☆THE GO AND MO’S 第7回公演『春子の夢』

 脚本・演出・出演:黒川猛
 構成:黒川猛、中川剛
 音楽:Nov.16
 映像協力:竹崎博人
 映像出演:森本研典、樋口ミユ
(2013年3月31日13時開演の回/ウイングフィールド)


 ひげプロ企画の『飛龍伝』が彼女彼らの有終の美を飾るものだったとすれば、ベトナムからの笑い声で鳴らした黒川猛のワンマン・ライヴ、THE GO AND MO’Sにとって第7回目の公演となる『春子の夢』は、2012年度の総決算であるとともに、新しい2013年度の門出に相応しい内容となっていたように思う。

 2012年度の公演中に流された「ドキュメンタリー」のうち、もっとも見応えのあった『当たり屋・田島太朗』と『当たり屋Gメン・北銀馬早苗』を客入れに始まった『春子の夢』は、旧作コント『注文の多い風俗店』と『スパイ大作戦』(ただし、単なるリピートとは異なる)に、新作コント『狂言病』、そしておなじみ映像コント『身体〜ファイナル〜』をメインとした構成となっていた。
 ときにきわきわというか、攻めが勝ち過ぎているように感じられた部分もなくはなかったが、黒川さんの「首が飛んでも笑いにこだわってみせらあ」の心意気と気迫はびんびんに伝わってきたし(特に、新作の『狂言病』など)、小刻み着実に笑いのヒットを重ねていたようにも思う。

 ただね、ベトナム時代からこの方、幾多の場外ホームランをかっ飛ばしてきた黒川さんに対して、今回の『春子の夢』で大いに満足し切っているようじゃ、どうにも申し訳が立たないとも思うのだ。

 と、言うことで、まずは次回5月末の第8回公演『白石の瓶』を心待ちにしたい。
 そして、来年度も本当に愉しみだ!
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洗濯したら、どんよりし始めるんだもんなあ

 晴天。
 と、思っていたら曇天っぽくなってしまった。
 あれれ。

 気温は思ったほどには上昇せず。
 夕方以降は、肌寒い感じも。

 それでも花粉禍ひどし。
 目の周りの痒みと首筋のがさがさに悩まされる。
 やれやれ。


 昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進める。


 お天気がよいので毎週恒例の洗濯を決行したら、どんよりし始めるんだもんなあ。
 乾き、あまりよろしからず。


 ピアノのペーテル・ヤブロンスキーとペーター・マーク指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したチャイコフスキー&グリーグのピアノ協奏曲<DECCA>、ヴァイオリンのギル・シャハムとジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシベリウス&チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲<ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 西川美和の『その日東京駅五時二十五分発』<新潮社>を読了する。
 著者の伯父の実話(手記)を下敷きに、1945年8月15日という日本の敗戦前後のあるエピソードを淡々と綴った作品。
 内容は異なるものの(ただし広島のことなど共通する点もある)、母方の祖父から聴いた従軍体験を思い出しもした。


 16時台に外出し、烏丸今出川へ。
 同志社大学寒梅館ハーディーホールで、ひげプロ企画『飛龍伝』(つかこうへい脚本、たにかわはるさん演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
 ああ、面白かった!

 で、夕飯用の買い物をすませ、21時40分に帰宅した。


 遅めの夕飯後、ピアノのエリザベート・レオンスカヤとヒュー・ウルフ指揮セント・ポール室内管弦楽団が演奏したショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番&第2番、ピアノ・ソナタ第2番<TELDEC>を聴く。


 以上、3月30日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月30日

ひげプロ企画『飛龍伝』

☆ひげプロ企画『飛龍伝』

 脚本:つかこうへい
 演出:たにかわはる
(2013年3月30日18時開演/同志社大学寒梅館ハーディーホール)

 *劇団からのご招待


 有終の美。
 と、言ってもよいのではないか。
 つかこうへい作品の上演をこれまで続けてきたひげプロ企画が、活動の一区切りに選んだのは、『飛龍伝』だった。
 長尺2時間半ということで、まずもって生理的な現象が心配だったんだけれど、そのことも含めて全く無問題。
 あっという間にラストを迎えていた。

 『飛龍伝』はつかこうへい自身が直面した70年代の学生運動・学生闘争の問題が(60年安保のエピソードも用いつつ)ストレートに扱われた作品だが、たにかわさんは、そうした作品の本質と真正面から向き合いぶつかっていたのではないだろうか。
 笑いにまぶしてぶちまけられた激しい皮肉や毒に細かくこだわるというより、作品の骨格と肝をきっちりと押さえつつ、メリハリの効いた速いテンポの作劇で、しっかりとカタルシスを生み出していたように思う。
 そして、劇中の諸々が、今現在のひげプロの面々と重なり合う部分が少なからずあるようにも感じられ、その意味でも痛切さ切実さが強く伝わる舞台ともなっていた。

 一人一人の氏名は省略することになるが、総勢20人近くの演者陣は、ライヴ特有の傷はありつつも、ハーディーホールの広い舞台上をところ狭しとエネルギッシュに動き回っていたし、作品の世界観やたにかわさんの意図にもよく沿っていた。
 中でも、伊藤大輝をはじめ、谷川はる、江頭一馬らひげプロ企画勢の熱演奮演が強く印象に残った。

 明日が最終舞台。
 ぜひ、多くの方にご覧いただければ。
 ああ、面白かった!




 以下は、今回の公演の面白さとは別に、作品そのもに対する僕の考えというか感想というか。
>被抑圧者の伝統は、ぼくらがそのなかに生きている「非常事態」が、非常ならぬ通常の状態であることを教える。
 ぼくらはこれに応じた歴史概念を形成せねばならない。
 このばあい、真の非常事態を招きよせることが、ぼくらの目前の課題となる(後略)<
ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』より(『ボードレール』<岩波文庫>所収)
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2013年03月29日

坂口良子が亡くなった

 どんよりとしたお天気の一日。

 気温もそれなりに上昇する。
 その分花粉の勢いも強く、目の周りの痒みやくしゃみの連発、首筋のがさがさに悩まされる。
 やれやれ。


 俳優の坂口良子が亡くなった。57歳。
 太地喜和子とまではいかないものの、様々な人生経験もあってか、晩年はしっとりとした感じの大人の女を演じていた坂口さんだが、若い頃は勝気で陽性、ちゃきちゃきとしてチャーミングな雰囲気が魅力的だった。
 代表作としては、西田敏行らとの『池中玄太80キロ』(宇野重吉、松尾和子、三浦洋一、長門裕之、そして坂口さんまで…)、石立鉄男らとの土曜ワイド劇場の『三毛猫ホームズ』シリーズ。
 そして、コメディリリーフ的な役割を果たした市川崑監督の金田一耕助シリーズ(中でも、『犬神家の一族』)か。
 療養中だったと報じられている。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 オーストリアのフルート奏者、ヴォルフガング・シュルツも亡くなった。67歳。
 ウィーン・フィルの首席奏者を務めたほか、アンサンブル・ウィーン=ベルリンなど室内楽でも活躍した。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 昨夜、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時半頃まで仕事関係の作業を進める。
 ナイナイのオールナイトニッポンは、青木裕子と結婚したばかりの矢部浩之に対して、岡村隆史と定番ゲストの出川哲朗が激しい突っ込みを入れていくという、実におめでたい放送だった。


 KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 ピアノのパスカル・ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ5重奏曲第1番&ピアノ4重奏曲第1番、ピアノ4重奏曲第2番&ピアノ5重奏曲第2番<DECCA>を聴き、CDレビューをアップする。


 『酔いどれ四季』を読み終え、鹿島田真希の『その暁のぬるさ』<集英社>を読了する。
 表題作とのコントラストももちろんだけれど、鹿島田真希という人の創作者表現者としてのありようが伝わってくるようで、『酔いどれ四季』は面白かった。


 16時台に外出して仕事関係の用件をすませたのち、下京図書館へ。
 『その暁のぬるさ』、町田康の『餓鬼道巡行』<幻冬舎>、筒井康隆の『ビアンカ・オーバースタディ』<星海社>、小林信彦の『四重奏 カルテット』<幻戯書房>を返却し、西川美和の『その日東京駅五時二十五分発』<新潮社>、島田雅彦の『傾国美女』<文藝春秋>、豊崎(崎は、本当は大ではなく立)由美の『ガダスタ屋の矜持 場外乱闘篇』<本の雑誌社>を新たに借りる。

 その後、夕飯用の買い物をすませ、17時台に帰宅した。


 帰宅後、チャールズ・マッケラス指揮プラハ室内管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第25番、第28番、第29番<TELARC>を聴きながら、雑件を片づけたり、『その日東京駅五時二十五分発』を読み始めたりする。


 夕飯後、仕事関係の予定をすませる。


 リカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団他が演奏したストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』&『プルチネッラ』<DECCA>、タカーチュ・カルテット他が演奏したシューベルトの弦楽4重奏曲第15番他<同>を聴く。


 『その日東京駅五時二十五分発』を読み進めたほか、吉田秀和の『ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿』<中公文庫>の拾い読みもする。


 今日は、サンスイートトレーディングの、チョコバタークッキーを食す。
 壬生のローソンストア100で購入した、マレーシア原産のもの。
 ココア地とバター地が賽の目状になったクッキーで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figaro at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ4重奏曲&5重奏曲

☆フォーレ:ピアノ4重奏曲&ピアノ5重奏曲

 演奏:パスカル・ロジェ(ピアノ)、イザイ・カルテット

 *ピアノ5重奏曲第1番&ピアノ4重奏曲第1番
(1995年12月/デジタル・セッション録音)
<DECCA>455 149-2

 *ピアノ4重奏曲第2番&ピアノ5重奏曲第2番
(1996年4月/デジタル・セッション録音)
<DECCA>455 150-2



 そもそも音楽を言葉で表わそうということに無理があるのだけれど、それでも言葉でくどくどと説明したくなるような音楽も、世の中にはやはりある。
 一方で、言葉で説明しようとすればするほど空回り、どうにも嘘臭くなってしまって、はては「言葉が、腐れ茸のように口のなかで崩れてしまう」(byホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』より。岩波文庫)ような、なんとも虚しい想いにとらわれてしまう音楽もある。

 さしずめ、フォーレの室内楽作品、中でもピアノ4重奏曲(2曲)とピアノ5重奏曲(2曲)など、その最たるものではないか。
 端整な表情をしていて日頃は穏やか、ユーモア感覚だってそれなりに持ち合せている。
 けれど、ときとして垣間見える憂いと、心に秘めた激しい感情…。

 ああ、なんとも嘘臭いや!

 いずれにしても、音楽をじっくり愉しみたいと思っている人にはまさしくうってつけの作品だと思う。

 パスカル・ロジェとイザイ・カルテットは、クリアでスマート、それでいて劇性にも富んだ演奏を行っている。
 作品の持つリリカルさを尊重しつつも、粘り過ぎず乾き過ぎず、過度に陥らない音楽解釈でとても聴き心地がよい。
 録音も明快で、フォーレのピアノ4重奏曲とピアノ5重奏曲に親しむのには絶好の二枚だ。
 大いにお薦めしたい。
posted by figaro at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月28日

午前中健康診断を受け、夕方シネマカレッジ京都に関する打ち合わせを行った

 どんよりとしたお天気。
 お昼過ぎ頃まで雨も降る。
 が、その後青空が見え始める。

 気温は上昇し、むわっとした感じが強し。
 花粉の飛散も激しく、目の周りの痒みやくしゃみの連発、首筋のがさがさに悩まされる。
 やれやれ。


 昨夜、4時頃まで仕事関係の作業を進める。


 朝早めに起きて仕事関係の作業を進めたのち外出し、近くの病院へ。
 京都市の特定健康診断(40歳以上の男性=500円)を受ける。
 まあ、ささっとした健康診断でさすがは500円と思うものの、身長の測定で180・5センチあったのには少々驚いた。
 と、言うのも大学院生時代に179・8かそこらだったため、ずっと180センチ弱だと思っていたのだ。
 まさか機械の問題ではあるまいし、午前中だったからか、それともこの10年ほどで身長が伸びたか。
 いずれにしても、びっくり。


 帰宅後、ピアノのパスカル・ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ5重奏曲第1番&ピアノ4重奏曲第1番、ピアノ4重奏曲第2番&ピアノ5重奏曲第2番<ともにDECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を行ったり、鹿島田真希の『その暁のぬるさ』<集英社>を読み進めたりする。
 『その暁のぬるさ』は、巧まれたまどろこしさだなあと思いつつ、読む。


 16時頃に外出し、シマフィルムのオフィスへ。
 田中誠一さん、牧野裕也さんと、4月27日よりスタートする立誠・シネマ・プロジェクトや、5月中旬よりスタートするシネマカレッジ京都2013(こちらは、オブザーバーの協力サポーター=制作補助として参加の予定)、さらにはFacebookの「映画と演劇グループ」で進めている映画と演劇の人材人脈交流に関する企画について打ち合わせを行う。
 少しでもよい企画になっていけばと強く思う。


 終了後、夕飯用の買い物をすませて20時頃帰宅した。
 以前住んでいた千本丸太町のマンションの一階のスーパーがローソンストア100に変わっていて、ちょっと感慨にふける。
 このマンション、やたらと壁が薄くてどうにもうるさかったんだよなあ。


 遅めの夕飯後、フォーレの第1番の組み合わせのCD、第2番の組み合わせのCDを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『その暁のぬるさ』を読み進めたりする。
 ほかに、許光俊の『問答無用のクラシック』<青弓社>の拾い読みもした。
 そういえば、この本に収められた「探偵と正義の味方」で再評価が行われている、天知茂の明智小五郎(江戸川乱歩の美女)シリーズ=テレビ朝日の土曜ワイド劇場のシリーズの動画を、youtubeで愉しんだばかりだが、今日またさわりの部分だけ観ようと検索してみたところ権利の問題で削除されてしまっていた。
 ありゃりゃ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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急遽外出した

 どんよりとしたお天気の一日。
 雨も降る。

 気温もあまり上昇せず。
 それでも花粉の飛散は盛んなようで、目の周りの痒みやくしゃみの連発に悩まされたが。
 そして、皆さんくれぐれも風邪などにはお気をつけくださいね。


 昨夜、3時半頃まで仕事関係の作業を進める。


 ピアノのパスカル・ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ5重奏曲第1番&ピアノ4重奏曲第1番(2回)、ピアノ4重奏曲第2番&ピアノ5重奏曲第2番<ともにDECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を進めたり、依頼された文章について考えたりする。


 鹿島田真希の『その暁のぬるさ』<集英社>を読み始める。
 擬古典調の文体だが、正直今のところあまりしっくりとこず。


 夕方前になって急遽外出する。

 で、仕事関係の予定をすませ、23時過ぎに帰宅した。


 帰宅後、フォーレの第2番の組み合わせのCDを聴きながら、仕事関係の作業を進める。


 以上、3月27日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月26日

フォーレを聴きながら作業を進めた一日

 なんだかどんよりとしたお天気の一日。

 気温は今日も上昇せず、寒さを強く感じる。
 皆さん、くれぐれも風邪などにはお気をつけくださいね。

 それでも花粉症の出はあり。
 やれやれ。


 昨夜も隣室がかまびすし。
 やれやれ。


 昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら3時頃まで仕事関係の作業を進めたり、小林信彦の『四重奏 カルテット』<幻戯書房>を読み進めたりする。


 ピアノのパスカル・ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ4重奏曲第2番&ピアノ5重奏曲第2番(2回)、ピアノ5重奏曲第1番&ピアノ4重奏曲第1番<ともにDECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を行ったり、『四重奏 カルテット』を読み進めたりする。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、バリトンのクリスティアン・ゲルハーヘルの来日リサイタル(ゲロルト・フーバーのピアノ伴奏)のライヴ録音を聴く。
 『さすらう若者の歌』、『若き日の歌』に『子供の不思議な角笛』からの抜粋、とマーラーの声楽曲がプログラミングされていた。
 これは聴きものだった。
(ゲルハーヘルとフーバーの組み合わせでは、このリサイタルでも演奏されたような曲を収めたマーラーの歌曲集がRCAレーベルからリリースされている)


 続けて、フォーレの1番の組み合わせのCDと2番の組み合わせのCDを聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を行ったりする。


 『四重奏 カルテット』を読了する。
 書かれた時期はばらばらだが、小林信彦の宝石社時代の記憶がフィクション化された中篇小説が四篇集められていた。
 中でも、先頃亡くなった常盤新平らによる策謀で宝石社を追われたことや、稲葉明雄との友情を描いた四篇目の『男たちの輪』が強く印象に残る。
(一篇目の『夙川事件』以外は変名が使われているが、小林さんの生涯を知る人間にとっては、モデルの特定は容易である)


 今日は、ハッピーポケットのクリームクラン・ココアサンドクッキーを食す。
 壬生のローソンストア100で購入した、マレーシア原産のもの。
 バニラクリームを挟んだココア地のクッキーで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月25日

なんだか肌寒い一日だったなあ

 青空は見えつつも、どんよりとした感じの強いお天気。

 気温はあまり上昇せず、肌寒い感じのする一日となる。
 皆さん、くれぐれも風邪などにはお気をつけくださいね。

 そして、花粉症は今日も出る。
 やれやれ。


 昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進める。

 そうそう、昨日引越し作業をしていた隣室だが、明け方近くまでかまびすしくしていた。
 やれやれ。


 ピアノのパスカル・ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ5重奏曲第1番&ピアノ4重奏曲第1番<DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 13時台に外出し、仕事関係の用件を片づける。


 帰宅後、ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ4重奏曲第2番&ピアノ5重奏曲第2番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 筒井康隆の『ビアンカ・オーバースタディ』<星海社>を読了する。
 巧みに巧まれたライトノベルであり、筒井康隆自身が語っているようにこれまた巧みに巧まれた「メタ・ライトノベル」でもある。
 当然その設定には、ジュヴナイルの金字塔『時をかける少女』を思い起こしたが、終盤描かれている未来世界(世界観)は先日朝日新聞朝刊の連載が終了した『聖痕』(全ての回、欠かさず読み終えた)と対になるものとも感じた。
 ああ、面白かった!


 小林信彦の『四重奏 カルテット』<幻戯書房>を読み始める。


 15時台に外出し、KAIKAへ。
 ノーミンpresents『ドリー&メリー 〜ソフトタッチよろしく〜』(森裕介作、脇田友演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。


 帰宅後、フォーレの第1番の組み合わせのCDを聴いたりしながら、雑件を片づける。


 夕飯後、第2番の組み合わせのCDを再び聴き、さらに第1番の組み合わせのCDを聴く。


 仕事関係の作業を進めたり、『四重奏 カルテット』を読み進めたりする。
 『四重奏 カルテット』では、第一篇目の『夙川事件 −谷崎潤一郎余聞−』を読んでいる。
 なお、「夙川事件」とは、戦前の有名雑誌『新青年』の名編集者で作家でもあった渡辺温が、谷崎潤一郎への原稿督促の際、彼が乗車した自動車と列車とが夙川の踏切で衝突し、亡くなってしまった不幸な出来事のことである。
 この作品で小林さんは、自分自身の江戸川乱歩(谷崎潤一郎を尊崇していた)や横溝正史(『新青年』の編集長で、彼もまた谷崎潤一郎に強く影響を受けていた)とのエピソードを絡めながら「夙川事件」のことを描いている。


 今日は、モンテールの牛乳と卵の巻きロール・ミルクを食す。
 壬生のローソンストア100で、50円びきだったもの。
 ミルククリームを挟んだ上品な甘さのロールケーキ2切れで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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ノーミンpresents『ドリー&メリー 〜ソフトタッチよろしく〜』

☆ノーミンpresents『ドリー&メリー 〜ソフトタッチよろしく〜』

 作:森裕介
演出:脇田友
(2013年3月25日16時開演の回/KAIKA)

 *劇団からのご招待。


 森裕介の脚本に、脇田友の演出出演、そして田中希代子、石川佳奈、堀乃布子、松岡民恵の出演とくれば、どうしても思い出すのが第1回目の京都学生演劇祭で大賞を受賞した、成安造形大学・劇団テフノロGの『テレコム戦隊テッテレー』だけど、彼女彼ら(他に現テフノロGメンバーの須崎志緒里も出演)が今回ノーミンpresentsとして上演した『ドリー&メリー 〜ソフトタッチよろしく〜』も、実はテフノロGの公演でかけられた『ドリー&メリー』を下敷きにしたものだとのこと。

 で、今回の作品も、『テレコム戦隊テッテレー』を彷彿とさせる、へたうまタッチというか、あえて雑っつく、あえてべたに、あえてわざとらしく描き込まれた内容となっていたのではないか。
 正直、中盤ぐらいまでは、演者陣の熱演と作品の手間のかかり具合はわかりつつも、言葉が頭を素通りしていくというのか、どうにものれない感じだったのだが、演出の言葉にもある「茶番」が決まり出したあたりから、声高に語られようとしない事どももはっきりと明らかになってきて、けっこうしっくりと観進めることができるようになった。
(その声高に語られようとしない事どもは、そのままどんぴしゃではないけれど、常日頃から僕が感じ考えていることでもある。女性性や男性性とか、その合い間にあるもの、こととか。だからこそ、その意味でも、演出の脇田君と他の女性の演者陣の関係性がとても気になる)
 脚本の脈絡がさらにしっかりしていけば、演劇的手法が咀嚼応用された茶番の効果ももっと高まるように僕には思われた。
 あと、脇田友という人の内面の繊細さ、毒、狂気のようなものが垣間見えたように感じられたことも付け加えておきたい。

 演者陣は作品の世界観と脇田君(彼自身も大奮戦)の意図によく沿っていたように思う。
 中でも、実質的な主人公ともいえる石川佳奈の、ギアのチェンジが効いた活き活きとした演技が強く印象に残った。
(茶番、べた、へたうまな部分とフラットな部分の違いなどを観るに、この座組み以外、脇田君の演出以外での彼女たちの演技はどのようなものになるのか、僕はとても興味深く思う)

 いずれにしても、ノーミンの今後の活動に注目していきたい。
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『ゆかいなどろぼうたち』の愉しい集まり そして谷口組のオーディション二日目

 晴天。
 どんよりとした感じはありつつも。

 気温はそれなりに上昇。
 花粉症の出が激しい。
 やれやれ。


 昨夜、ピアノのパスカル・ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ5重奏曲第1番&ピアノ4重奏曲第1番<DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を3時過ぎまで進める。


 朝早めに起きて、仕事関係の予定を片づける。


 その後、地下鉄でくいな橋まで移動し、龍谷大学深草校舎へ。
 『ゆかいなどろぼうたち』の出演者の皆さんと再会し、美味しいランチとともに、公演の動画を観るなど愉しい時間を過ごす。
 あれから一ヶ月以上経ったが、どうにも懐かしい想いがした。


 その後、京阪で四条まで移動し、仕事関係の予定をすませたあと、烏丸御池方面へ。
 谷口組(谷口正晃監督の新作)のオーディションの二日目にサポートスタッフとして参加する。
 繰り返しになるかもしれないが、谷口監督の新作の撮影が本当に愉しみだ。


 その後、諸々あって帰宅が23時を過ぎる。


 帰宅後、ロジェとイザイ・カルテットが演奏したフォーレのピアノ4重奏曲第2番&ピアノ5重奏曲第2番<DECCA>を聴きながら、仕事関係の作業を進める。


 以上、3月24日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月23日

谷口組のオーディションのお手伝いをした

 晴天。

 気温は昨日に比べていくぶん下がったか。
 肌寒い感じのする一日となる。
 皆さん、くれぐれも風邪などにはお気をつけくださいね。


 昨夜、3時頃まで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を行ったりする。
 書いては書き直しだ。


 朝早めに起きて、仕事関係の予定をすませる。


 その後、烏丸方面へ移動し、谷口正晃監督が来年度に撮影する新作(谷口組)のオーディションにサポートスタッフとして参加する。
 今回の作品は、昨年行われた映画24区KYOTOが開催した、谷口監督による俳優ワークショップを受けたもので、ワークショップ形式の丁寧なオーディションということもあって、参加者(受講生)の皆さんのこの間の変化がよくわかる充実した内容となっていた。
 観応えのある作品が生まれる予感に満ち満ちており、撮影が本当に愉しみである。


 終了後、簡単な打ち合わせを行ったのち、河原町方面へ移動し、仕事関係の予定をすませる。
 ついでに、Avisで中古CDを2枚購入する。
 ピアノのパスカル・ロジェとイザイ・カルテットのメンバーが演奏したフォーレのピアノ5重奏曲第1番&ピアノ4重奏曲第1番とピアノ4重奏曲第2番&ピアノ5重奏曲第2番<DECCA>の2枚がそれで、前々から欲しいと思っていたCDだ。


 帰宅後、フォーレの第1番の組み合わせのCDを聴きながら、仕事関係の作業を進める。


 NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴く。
 今回は「私の試聴室」の回で、最近評判の日本の若手指揮者山田和樹の特集が組まれていた。
 で、かつての「ヤマカズ」山田一雄が旧日本フィルを指揮したムソルグスキー作曲、ラヴェル編曲の組曲『展覧会の絵』から「バーバ・ヤーガの小屋」を放送したあと、21世紀の「ヤマカズ」山田和樹が現在の日本フィルを指揮したストコフスキー編曲の同じ部分を放送して二つの編曲の大きな印象の違いを示してから、和樹のほうの録音を全曲放送したところが、片山杜秀らしい。
 ほかに、東京混声合唱団を指揮した武満徹の混声合唱のための『風の馬』とチェコ・フィルを指揮したハチャトゥリアンの組曲『仮面舞踏会』からワルツも放送されていた。
 いやあ、『クラシックの迷宮』は面白いなあ。


 続けて、フォーレの第2番の組み合わせのCDを聴く。
 第1番の組み合わせもそうだけど、室内楽の醍醐味を存分に愉しむことのできるCDだと思う。
 買って大正解。


 少し遅めの夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を進めたり、筒井康隆の『ビアンカ・オーバースタディ』<星海社>を読み始めたりする。
 筒井康隆ものする「ラノベ」、『ビアンカ・オーバースタディ』はまさしく確信犯的作品だ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月22日

お昼過ぎに外出し、用件を片づけた

 晴天。
 と、思っていたらどんどんどんよりし始めた。
 あれあれあれ。

 気温は昨日から一転して上昇し、穏やかな感じの一日となる。
 その分、花粉症の出もさらに激しい
 やれやれ。


 昨夜、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進める。


 午前中、毎週恒例の洗濯をすませる。
 お天気は曇天に変わったが、気温のせいか、乾きはなかなかよろし。


 KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 14時台に外出し、出町柳方面へ。
 いくつか用件を片づけたのち、河原町へ。
 仕事関係の用件を片づけ、三条のブックオフやAvisをのぞいたのち、16時台に帰宅した。
 今日は「ばったり」はないかなと思っていたら、あとちょっとで帰宅するというところで「ばったり」。
 ちょっと驚いた。


 帰宅後、ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィルが演奏したマーラーの交響曲第5番<ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、町田康の『餓鬼道巡行』<幻冬舎>を読み進めたりする。


 再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 で、夕飯後仕事関係の予定が入っている。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月21日

下京図書館へ行き、町田康の『餓鬼道巡行』を読み始めた

 晴天。
 いいお天気、いい青空になる。
 澄んだ空を見上げて、死について考えたりした。

 気温はぐっと下がり、寒さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。
(それでも、目の周りの痒みなど花粉症の出がひどい。やれやれ)


 昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進める。


 クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルが演奏したブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」<ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 14時頃に外出し、仕事関係の用件を片づける。

 それから下京図書館へ移動し、斎藤美奈子の『名作うしろ読み』<中央公論新社>、田中慎弥の『共喰い』<集英社>、長嶋有の『佐渡の三人』<講談社>を返却し、町田康の『餓鬼道巡行』<幻冬舎>、筒井康隆の『ビアンカ・オーバースタディ』<星海社>、小林信彦の『四重奏 カルテット』<幻戯書房>、鹿島田真希の『その暁のぬるさ』<集英社>を新たに借りる。
 町田筒井小林のお三方の本は、自分で買うこともあるだろうが、鹿島田さんは図書館のおかげなり。


 帰宅後、ウラディーミル・アシュケナージさん指揮ロイヤル・フィルが演奏したショスタコーヴィチの交響曲第1番&第6番<DECCA>と小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラが演奏したブラームスの交響曲第4番&ハンガリー舞曲第5番、第6番<PHILIPS>を聴いたりしながら、『餓鬼道巡行』を読み始めたり、仕事関係の作業を進めたりする。


 夕方になって再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。
 外出してすぐに自転車のチェーンが外れてしまい、近所の自転車屋で直してもらう。
 お昼の外出時にどうもおかしいなと思っていたのだが。
 1000円の出費は痛い。


 帰宅後、クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏したハイドンの交響曲第77番&第76番<BBC music>を聴いたりしながら、雑件を片づける。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、タングルウッド音楽祭75周年記念公演(ガラ・コンサート)のライヴ録音を聴く。
 キース・ロックハート指揮ボストン・ポップス管弦楽団が演奏したコープランドの庶民のファンファーレとバーンスタインの『オン・ザ・タウン』から「3つのダンス・エピソード」、ジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス管弦楽団が演奏したロジャース&ハマースタインの『王様と私』から「シャル・ウィ・ダンス?」(ジェームズ・テイラーの歌唱)、ピアノのエマニュエル・アックスとステファン・アズベリー指揮タングルウッド音楽センター・オーケストラが演奏したハイドンのピアノ協奏曲第11番から第2、第3楽章、チェロのヨーヨー・マがタングルウッド音楽センター・オーケストラを弾き振りしたチャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレ、アンドリス・ネルソンス指揮タングルウッド音楽センター・オーケストラが演奏したサラサーテのカルメン幻想曲(アンネ・ゾフィー・ムターのヴァイオリン独奏)、同じくネルソンス指揮ボストン交響楽団が演奏したラヴェルのラ・ヴァルス、デヴィッド・ジンマン指揮ボストン交響楽団他が演奏したベートーヴェンの合唱幻想曲(ピーター・ゼルキンのピアノ独奏)が放送されていた。
 ちなみに、タングルウッド音楽祭はアメリカを代表する夏の音楽祭で、ボストン交響楽団が座付き(レジデンス)のオーケストラである。
 そういえば、長年ボストン響の音楽監督を務め、この音楽祭にも大きな功績のあった小澤征爾が讃えられていたようだ。


 続けて、フォルテピアノのアンドレアス・シュタイアーとゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ率いるフライブルク・バロック・オーケストラが演奏したハイドンのピアノ協奏曲集<ハルモニアムンディ・フランス>とシュタイアーが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第10番〜第12番<同>を聴く。
 ハイドンのピアノ協奏曲集を選んだのは、よりにもよって大好きな第11番の第1楽章がベスト・オブ・クラシックでカットされていたため。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『餓鬼道巡行』を読み進めたりする。


 今日は、三菱食品の鈴かすてら しょうが風味を食す。
 卸売ひろばタカギで、税込み31円だったもの。
 しょうが風味の鈴(一口)カステラなんだけど、ううん、しょうが味の甘いものってやっぱり苦手かなあ。
 食べられなくはないけども。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figaro at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月20日

世は祝日なれど

 春分の日。
 世は祝日なり。


 曇天。
 雨も降る。


 昨夜、4時半まで仕事関係の作業を進める。


 ヘルマン・シェルヘン指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団の演奏したベートーヴェンの交響曲第4番&第5番<PLAZ>を聴き、アルテミス・カルテットが演奏した同じくベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>を2回聴き、アルテミス・カルテットのCDのCDレビューをアップする。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 その後、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリ―ヴランド管弦楽団が演奏したスメタナの管弦楽曲集<DECCA>を聴く。
 いわゆるボヘミアっぽさには欠けるかもしれないが、交響詩『モルダウ』や歌劇『売られた花嫁』の序曲など、スメタナが作曲したオーケストラ曲の有名どころを知ることができる一枚だ。
 クリ―ヴランド管弦楽団も達者なかぎり。


 仕事関係の作業を進める。


 長嶋有の『佐渡の三人』<講談社>を読了する。
 4つの連作を読み進めるごとに、じわっとくる一冊だった。
 すでに記した通り、とぼけた滑稽味の意味もよくわかる。


 本当は図書館に行くつもりだったが、雨に負け、仕事関係の予定と夕飯用の買い物のためにだけ外出する。
 まあ、仕方ない。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデンのコンサート(ティーレマンの首席指揮者就任を記念した演奏会)のライヴ録音を聴く。
 ソプラノのルネ・フレミングが独唱したヴォルフの管弦楽伴奏つきの歌曲5曲と、ブルックナーの交響曲第7番が放送されていた。
 フレミングの歌唱は立派かもしれないが、あのもわもわむわむわとした声質は、どうにも苦手だなあ。


 続けて、アンドレ・プレヴィン指揮ロイヤル・フィルが演奏したエルガーの交響曲第1番<PHILIPS>、ベルナルト・ハイティンク指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏した同じくエルガーの交響曲第2番<EMI>を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、鈴木淳史の『クラシック名盤ほめ殺し』<洋泉社新書y>の拾い読みをしたりする。


 今日は、ヤマザキの吹雪まんを食す。
 グルメシティで、税込み64円だったもの。
 おなじみ粒あんたっぷりの吹雪饅頭で、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figaro at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アルテミス・カルテットのセリオーソとラズモフスキー第1番

☆ベートーヴェン:弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」

 演奏:アルテミス・カルテット
(2005年6月&7月/デジタル・セッション録音)
<Virgin>7243 5 45738 2 8


 一気呵成はまだしも、猪突猛進って言葉には、なんとも言えない危うさを感じる。
 例えば、目の前に並ぶ鉄砲隊もなんのその、進め進め、進め一億火の玉だ! と突撃して、ばたばたばたばたと倒れる、信玄亡きあとの武田騎馬軍団のような。
(最近の研究では、長篠の戦いの様相って巷間伝わっているようなものではなかったらしいけど)

 で、そんな武田騎馬軍団を想起させるといえば、最晩年のヘルマン・シェルヘンがスイス・ルガーノのスイス・イタリア語放送管弦楽団を指揮して遺したベートーヴェンの交響曲全曲のライヴ録音。
 速いテンポでぐいぐいと、と言えばよく言い過ぎだろう。
 笛吹くから踊ってくれ!
 軍配挙げるから突撃してくれ!
 てな具合の叱咤激励(唸り声が凄い!)で、あまり技量に秀でていないオーケストラを駆り立てるものだから、破れかぶれのはちゃめちゃやたけた。
 壊滅破滅のゲシュタルト崩壊寸前。
 まあ、その迫力気力には、上っ面だけ整えた中途半端に上手な演奏なんかより、何倍何十倍何百倍も、心にぐっとくるものがあるんだけどね。
 でも、一般向きとはちょと言えない。

 こなたアルテミス・カルテットが演奏した、第11番「セリオーソ」と第7番「ラズモフスキー第1番」の2曲の弦楽4重奏曲がカップリングされたアルバムは、速いテンポで一気呵成という点だけならばシェルヘンの交響曲と共通するものの、音楽への向き合い方で大きく異なっている。
 ように聴こえる。
(だいいち、まずもって4人のメンバーが達者だ)

 速いテンポ、という部分は、いわゆるピリオド・スタイルの影響で、さくさく、さ・す・そという感じ。
 メリハリがよく効いていて、名人上手がテニスのダブルスでずっとラリーを続けているような緊迫感と爽快感を覚える。
 もちろん、先達アルバン・ベルク・カルテット譲りの、細密精緻な楽曲把握も忘れちゃなるまいが、アルバン・ベルク・カルテットのようなアナリーゼアナリーゼした感じではなく、インティメートな雰囲気が勝った音楽づくりを行っている点が、耳なじみの良さにつながっていると思う。

 ほどよい残響で、録音もクリア。
 高邁で深淵な精神性を求める向きにはあまりお薦めできないが、ベートーヴェンの一面、音楽そのものとしての劇性面白さを愉しみたい方には大いにお薦めしたい一枚だ。

 それにしてもこのCD(輸入盤)、リリース後、それほど間を置かずに廃盤になってしまったんだった。
 そういう武田勝頼みたいなことをやっているから(あくまでも思い込み)、EMIレーベルといっしょにワーナー傘下に吸収されてしまうんだ、Virginレーベルは。
posted by figaro at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月19日

花粉禍ひどし 烏丸方面に出かけた

 晴天。
 いいお天気、いい青空となる。

 気温は今日も上昇し、春の訪れを感じる一日だった。
 その分、花粉禍も激しく、目の周りの痒みに悩まされる。
 やれやれ。


 昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、下鴨車窓の『煙の塔』の劇評の手直しを行ったり、仕事関係の作業を進めたりする。


 ケヴィン・マロン指揮アレイディア・アンサンブルが演奏したヘンデルの水上の音楽&王宮の花火の音楽<NAXOS>、アンソニー・ハルステッド指揮ウプサラ室内管弦楽団が演奏したルーマンのドロットニングホルムの音楽&小さなドロットニングホルムの音楽<同>、チャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団が演奏したブラームスのセレナード第1番&第2番<TELARC>を聴いたりしながら、『煙の塔』の劇評の手直しを行ったり、長嶋有の『佐渡の三人』<講談社>を読み進めたりする。


 16時ちょうどに外出し、仕事関係の用件を片づける。
 それから大垣書店四条店で『ぶらあぼ』4月号を入手し、京都芸術センターで用件を片づけたのち、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、クリストフ・エッシェンバッハ指揮ロイヤル・ストックホルム・フィルの「ノーベル賞受賞記念コンサート」のライヴ録音を聴く。
 ベートーヴェンの『エグモント』序曲、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(レイ・チェンの独奏)、マーラーの交響曲第1番「巨人」が放送されていた。
 マーラーの交響曲は、エッシェンバッハらしくクセの強い演奏。
 それと、第1楽章と第2楽章の終わりに拍手が起こったのには、ちょっとびっくりした。
 ノーベル賞関係者はあんまりクラシック音楽に親しんでいないのか、それともこういう慣習があるのか。


 続けて、エッシェンバッハ指揮ウィーン・フィルがソプラノのルネ・フレミングを伴奏した、リヒャルト・シュトラウスの歌劇のシーン集<DECCA>を聴く。
(ちなみに、フレミングはエッシェンバッハ指揮ヒューストン交響楽団の伴奏で、同じリヒャルト・シュトラウスの4つの最後の歌他をRCAレーベルに録音していた)
 『カプリッチョ』の「月の光の音楽」のねちっとした重たさは、エッシェンバッハならではか。
 僕は、同じウィーン・フィルを指揮したアンドレ・プレヴィンの録音<ドイツ・グラモフォン>や、バイエルン放送交響楽団を指揮したカール・ベームの全曲録音<同>のすっきりとした演奏のほうを好むが。
 あと、このアルバムの僕の目当ては、実はむわもわむちっとした声質のフレミングではなく、助唱というか助演のバーバラ・ボニーである。
 21世紀に入って一挙に声の劣化をきたしてしまったボニーにとって最後の輝きというか、彼女のクリアでリリカルな声がとても魅力的だ。


 続けて、クリスティアン・フレーリヒ指揮ベルリン放送交響楽団が演奏したシュポアの序曲集<CPO>を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『佐渡の三人』を読み進めたりする。
 『佐渡の三人』のとぼけた滑稽味の意味が、連作を重ねるごとに明らかになっていると思う。


 ほかに、吉田秀和の『世界の指揮者』<ちくま文庫>の拾い読みもする。
>(前略)私は、改めて、「うまい」とか「へた」とかいう評のつまらなさを痛感する。
 演奏を評するとは、その背景にどんな人間が、どんな人格が、控えているかを問うところに帰着するのである。
 その意味で、演奏は思想と人柄の反映でもあるのである<
(同書、「ブリュッヘン/シューベルト」より)
 演技とて、そして批評とて、演奏と同じなのではないのか?


 今日は、東ハトのチョコチップクッキーを食す。
 卸売ひろばタカギで税込み72円だったもの。
 チョコチップ入りのクッキーで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 まだまだ何も終わっていない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figaro at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月18日

雨にもかかわらず、花粉症がひどかった

 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 気温は今日も上昇して、むわっとした感じが強し。


 雨にもかかわらず、花粉の勢いが激しく、目の周りの痒みやくしゃみの連発に苦しめられる。
 やれやれ。


 昨夜、ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィルが演奏したマーラーの交響曲第9番の第1楽章<EMI>を聴いたりしながら、5時頃まで仕事関係の作業を進めたり、下鴨車窓の『煙の塔』の劇評の手直しを行ったりする。


 10時台に起きて、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルが演奏したマーラーの交響曲第9番<ポニー・キャニオン>、大友直人指揮日本フィルが演奏したニーノ・ロータの交響曲第1番〜第3番<キング>、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『煙の塔』の劇評の手直しや『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を行ったり、田中慎弥の『共喰い』<集英社>を読み進めたりする。
 マーラーの交響曲第9番づいているのは、先日劇団ケッペキの卒業公演を京大吉田寮まで観に行ったときに、京都大学音楽部交響楽団が演奏しているこの曲の第1楽章を聴いたこともあって。
(京大のオーケストラはとても達者なオーケストラだし、山本七雄なんて人を指揮台に呼んだりすることもあるから、本当は定期演奏会を聴きに行きたいんだけど、当日座席指定というお客さんの都合を一切考えない得手勝手なシステムをとっているため、絶対聴きに行くことはしない)


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮ワールド・オーケストラ・フォー・ピースの「ゲオルク・ショルティ生誕100年記念公演」のライヴ録音を聴く。
 モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』序曲、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』、モーツァルトの歌劇『魔法の笛』から「この神聖な殿堂には」(ルネ・パーベのバス独唱)、ヴェルディの歌劇『ラ・トラヴィアータ』から「さようなら、過ぎ去った日よ」(アンジェラ・ゲオルギューのソプラノ独唱)、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』から「奥様、お手をどうぞ」(ゲオルギューとパーぺの二重唱)、マーラーの交響曲第5番の第4楽章、バルトークの管弦楽のための協奏曲が放送されていた。
 演奏云々以前に、やっぱりシカゴのオーケストラ・ホールは音質がデッドだなあ。

 続けて、ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」&第101番「時計」<DECCA>、リカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルが演奏したシューベルトの交響曲第3番&第5番<EMI>を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進める。


 『共喰い』を読了し、長嶋有の『佐渡の三人』<講談社>を読み始める。
 こちらはとぼけた味わいの作品のようだ。


 今日は、Pascoのバウムクーヘン・メロンを食す。
 近くのフレスコで、半額引き、税込み50円だったもの。
 メロンペーストでコーティングしたバウムクーヘンで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
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2013年03月17日

昨日と今日の日記

 どんよりとしたお天気となる。
 明日は雨か。

 気温は今日も上昇する。
 その分、花粉の勢いが強いようで、目の周りの痒みやくしゃみの連発に襲われる。
 やれやれ。


 昨日は正午過ぎに外出し、自転車で京都大学吉田寮食堂へ。
 劇団ケッペキの卒業公演『夢みるナマモノ』(内山航君作・演出)を観る。
 詳しくは、前々回の記事をご参照のほど。

 開演前終演後、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。

 それと、サークルの建物で京都大学音楽部交響楽団(音楽部、と言っても、音楽関係の教育機関があるわけじゃない)の卒団式コンサートをやっているようで、開演前にシューマンの『マンフレッド』序曲やワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』の第1幕への前奏曲をちらと聴き、ケッペキの終演後、大好きなマーラーの交響曲第9番の第1楽章をじっくりと聴く。
 と、言っても関係者だけのイベントなので、2階の会場から流れて来る音楽を窓下に立って聴いていただけなんだけど。
 そういえば、間接音とはいえ、生のオーケストラの演奏を聴くのは本当に久しぶりなんじゃないか。
(あっ、そうそう、観劇記録にも書いたけど、ケッペキの公演中、静かな場面でショスタコーヴィチの交響曲第5番のやかましい部分が聴こえてきたのにはまいった)

 その後、百万遍のマクドに入り、コーヒーを飲みながら下鴨車窓の『煙の塔』の劇評の筆入れや、ケッペキの観劇記録の下書きを行う。

 それから人間座スタジオに移動し、劇的細胞分裂爆発人間の「VOL.1 食い合わせのグルメ」(髭だるマン君作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 終演後、C.T.T.の合評会だけでも、と思ったら、あれあれアトリエ劇研閉まってんじゃん。
 時間を間違えてた!

 諸々あって、帰宅が23時を過ぎる。


 帰宅後、仕事関係の作業や『煙の塔』の劇評の筆入れなどを行っていて、結局寝床に入ったのは5時半近く。


 それでも11時頃に起きて、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>やNHK・FMの『きらクラ!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業や『煙の塔』の筆入れなどを進める。


 斎藤美奈子の『名作うしろ読み』<中央公論新社>を読了する。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』を聴く。

 続けて、フォルテピアノのジョス・ファン・インマゼールとブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番&第4番<SONY>、インマゼール、ヴァイオリンのヴェラ・ベスとヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏した同じくベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」&ヴァイオリン協奏曲<同>を聴く。


 夕飯後、『煙の塔』の劇評の筆入れを進めたり、田中慎弥の『共喰い』<集英社>を読み進めたりする。
 『共喰い』は、表題作を読み終えた。
 オーソドックスな純文学。


 今日は、甘いものは食さず。
 その代わり、明治のカール・元祖カレーがけを食す。
 卸売ひろばタカギで、税込み62円だったもの。
 カレー味のカールで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!
(僕は、チーズ味のカールが一番すきだな)


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二「VOL.1 食い合わせのグルメ」

☆劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二「VOL.1 食い合わせのグルメ」

 作・演出:髭だるマン
(2013年3月16日19時開演/人間座スタジオ)


 公演リーフレットによると、この劇的細胞分裂爆発人間 和田謙二は、亀岡高校柔道部の先輩後輩である、てんま1/2としゃくなげ謙治郎によって、昨年JR嵯峨野山陰線社内で発足し、さらに髭だるマンを加えて増殖中の演劇ユニットだそうである。
 髭だるマンとしゃくなげ謙治郎といえば、昨年の京都学生演劇祭での『未開・踏襲・座敷童子』、特に傑作「ジャージマン」で強い印象を残した龍谷大学の未踏座元メンバー(ちなみに、てんま1/2もそう)だが、今回の「食い合わせのグルメ」も彼らの本領を発揮したオムニバス・コント集となっていた。
 長い間合いやルーティンと笑いの骨法を押さえつつ、三人のキャラクターを存分に活かしたコントの数々で、中でも六の「彼女の行方」には大笑いしてしまった。
 また、オフビートで小じゃれた雰囲気も僕の好みにはあっていたのだけれど、ピークの置き方や話の切り方、決めの台詞の処理などで、もどかしさもったいなさを感じてしまったことも事実だ。
 細部を磨き込むことで、コントのアイデアや三人のキャラクターが一層引き立っていくだろうし、彼らに親しく接したことのない方々にもたっぷりと愉しめるコントに仕上がっていくように思う。
 ほかに、鈴木ちひろも出演。
 喀血劇場での薫陶や笑の内閣での経験も当然大きいだろうが、わざとらしい変な表情や大仰なアクションをしない、彼女のフラットなキャラクターは、今回のコントの雰囲気にはよく合っていたのではないだろうか。
 和田謙二の三人とともに、彼女の今後のさらなる活躍を期待したい。
 いずれにしても、和田謙二の次回の公演が待ち遠しい。

 そうそう、できればこの公演、さらに多くのお客さんに観に行ってもらいたいなあ。
 ご都合よろしい方はぜひ。
posted by figaro at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇団ケッペキ 卒業公演『夢みるナマモノ』

☆劇団ケッペキ 卒業公演『夢みるナマモノ』

 作・演出:内山航
(2013年3月16日14時開演の回/京都大学吉田寮食堂)


 ケッペキの公演を観るのは、はていったい何年ぶりのことだろう?
 それもこれも、永榮紘実という演者さんの演技をどうしても観ておきたかったからだ。

 永榮さん。
 京都学生演劇祭の劇団愉快犯の『作り話』にゲストとして顔を出し、一瞬にして女丈夫ぶり、芝居達者ぶりを示してみせた彼女の演技に初めて接したのは、象牙の空港の『女体出口』だったのだけれど、永榮さんの存在に気付いたのは、実はそのときではない。
 あれは、月面クロワッサンだったか、アトリエ劇研の客席での彼女の佇まいに、「あ、これはできる人だ」という勘が働いて(僕は自分のこういう勘を信じている。ときに大外れはあるものの)、それとなく知り合いに「あの人誰か知ってる」と尋ねたのである。
 そのときは、名前のほうまでは聴かなかったのだけれど、ケッペキの所属ということがわかり、いずれ必ず観ておこうと思ったのだった。

 で、今回の『夢みるナマモノ』だが、やっぱり観に行って大正解。
 永榮さんという人の、演技の幅、劇場感覚の豊かさを存分に愉しむことができたからだ。
 改めて記すけど、永榮紘実は今後要注目の演者さんだと思う。

 もちろん、永榮さん永榮さんと繰り返していてはひいきの引き倒しもいいところ。
 だいいち、他の演者さんにも悪い。
 フラットなシーンでは日活のアクションものではない作品の石原裕次郎のようで、コミカルなシーンではいかりや長介のような川原悠、おかかなしさをためた大石達起、脇を固めた加藤将隆、尾木藍子と、他の演者陣も好演で、吉田寮食堂によく合ったインティメートなアンサンブルを造り上げていた。

 また、内山航の脚本も、各々の特性魅力をよくとらまえた作劇で、物語の軸のぶれや、シーンの構成などで、どうしても気になる箇所があり、若干冗長に感じてしまった部分もなくはないのだけれど、笑いのツボを押さえつつ、伝えるべきことを真摯に伝えてもおり、心にしっくりくる内容だった。

 ちょうど京都大学音楽部交響楽団の卒団式のコンサートとかぶっていて、動と静の切り換えの大事な静の部分でショスタコーヴィチの交響曲第5番のいっとうやかましいあたりや鶏の鳴き声が聞こえてくるなんてアクシデント(?)もあったりしたのだが、まあそれはそれ。
 何はなくとも、観ておいてよかったと思える公演だった。

 思い込みの得手勝手な物言いになるし、本人の意識や今後の実際の活動は置くとして、永榮さんは、もしかしたらお芝居がなくても生きていける人のような感じがしたことを最後に付け加えておきたい。
 むろん、是非の価値判断とは関係なく。
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2013年03月16日

シネマカレッジ京都2013に関する打ち合わせを行った

 晴天。

 日中は気温が上昇するも、夕方以降の冷え込みは厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪などにはお気をつけくださいね。


 昨夜、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時半近くまで仕事関係の作業を進めたり、下鴨車窓の『煙の塔』の劇評について考えたりする。


 午前中、毎週恒例の洗濯をすませる。
 せっかくのお天気日和だったこともあり。
 乾き、それなりによし。


 アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>や、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『煙の塔』の劇評の筆入れをしたり、斎藤美奈子の『名作うしろ読み』<中央公論新社>を読み進めたりする。


 15時過ぎに外出し、西ノ京円町近くのシマフィルムオフィスへ。
 元・立誠小学校で5月より開講する、「シネマカレッジ2013」等の打ち合わせのため。
 「シネマカレッジ2013」は、昨年元・立誠小学校や京都リサーチパーク町家スタジオで行われた「映画24区KYOTO」の俳優ワークショップを発展させたもので、昨年と同じ俳優・演技クラス(2クラス。毎週と隔週)のほか、企画・脚本クラス(隔週)、配給・宣伝クラス(隔週)と計3つのクラスが開講される予定である。
(まもなく情報がオープンになるはずなので、詳しくはそちらをご参照のほど)
 で、こちらは、昨年同様、オブザーバーの協力サポーターとして、制作や事務、情宣の補助助言、及び受講生のケアを行うこととなった。
 昨年のように、すべてのワークショップに参加するわけではないが、できうるかぎり受講生の皆さんのサポート等に努めたいと思う。

 そのほか、同じく元・立誠小学校でスタートする「立誠・シネマ・プロジェクト」に関してや、シマフィルム製作の新作『太秦ヤコペッテイ』(宮本杜朗監督/4月27日より先行ロードショー)、さらには映画と演劇の人脈交流に関する企画についていろいろと打ち合わせを行う。


 遅めの夕食をすませ、23時半頃帰宅した。


 帰宅後、アルテミス・カルテットのCDを聴きながら、仕事関係の作業を進める。


 以上、3月15日の日記。


 今日は、ケッペキの卒業公演のマチネと和田謙二のソワレを観る予定なり。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月14日

劇評の第一稿を書き上げた

 晴天。
 いいお天気、いい青空となる。

 気温はぐっと下がり、寒さがとても厳しい一日。
 皆さん、くれぐれも風邪などにはお気をつけくださいね。


 昨夜、4時過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、下鴨車窓の『煙の塔』の劇評について考えたりする。


 夢見悪し。
 心臓がどきどきするような、嫌な夢を観た。


 昨日に続いて、今日も両肩両脚の痛みが続く。
 やれやれ。


 アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>、アレクサンダー・リープライヒ指揮ミュンヘン室内管弦楽団が演奏したロッシーニの序曲集<SONY/BMG>、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮バーゼル室内管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番&第2番<OEHMS>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『煙の塔』の劇評を書き進めたりする。
 『煙の塔』の劇評は、ようやく第1稿が完成したが、あまりにも余所行きの文章で面白くないため、くだけた文体の文章に改めてみる。
 が、今度はくだけ過ぎ。
 ありゃりゃ。


 夕方になって外出し、仕事関係の用件を片づけたのち、下京図書館へ。
 升本喜年の『映画プロデューサー風雲録』<草思社>と柳広司の『怪談』<光文社>を返却し、斎藤美奈子の『名作うしろ読み』<中央公論新社>、田中慎弥の『共喰い』<集英社>、長嶋有の『佐渡の三人』<講談社>を新たに借りる。

 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
(途中、グルメシティで、週刊文春の小林信彦の連載エッセイを立ち読みする。今号では、東京へのオリンピック招致についての疑念が詳しく述べられていた)


 帰宅後、『名作うしろ読み』を早速読み始める。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ヤン・リシエツキの来日ピアノ・リサイタルのライヴ録音を聴く。
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第24番、メンデルスゾーンの厳格な変奏曲、ショパンの練習曲集作品番号25などが放送されていた。


 続けて、チョン・ミュンフン指揮ウィーン・フィルが演奏したドヴォルザークの交響曲第6番&第8番<ドイツ・グラモフォン>を聴く。
(結局、チョン・ミュンフンとウィーン・フィルの組み合わせによるドヴォルザークの交響曲は、この第6番と第8番のほか、第3番と第7番の2枚しか残されなかった。少なくとも、第9番の「新世界より」程度は録音してもらいたかったなあ。ただ、かつてエーテボリ交響楽団とBISレーベルに録音したのも、第7番と第8番だけだったから、もしかしたらはなから第9番は録音するつもりがなかったのかもしれない。付け加えると、ほかにチョン・ミュンフンとウィーン・フィルの組み合わせでは、弦楽と管楽の二つのセレナードも録音されていた)


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『名作うしろ読み』を読み進めたりする。
 『名作うしろ読み』は、その名の通り、古今東西の名作名著の末尾の一文を提示しつつ、各々の作品に解釈を加えたもの。
 作品のチョイスを含めて斎藤美奈子らしさ全開で、なあるほどと目ウロコである。

 で、倉橋由美子の『パルタイ』の章から、『パーティー』という一幕物の戯曲のプロットを思いついた。


 今日は、カバヤのフロレンティを食す。
 壬生のローソンストア100で購入したもの。
 かりかりとした食感のかた焼きクッキーで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月13日

劇評に取り組んだ一日

 どんよりとしたお天気の一日。
 夕方頃には、雨が本格的になる。
(雨のおかげで、花粉症の出はいくぶん治まっていたが)

 気温は上昇し、むしっとした感じがする。
 ただし、明日は再び冷え込むとか。
 皆さん、くれぐれも風邪などにはお気をつけくださいね。


 昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進める。


 大阪芸大の二宮健監督の新作『SLUM-POLIS』の撮影にエキストラとして参加して、激しく飛んだり跳ねたりしたものだから、両肩両脚が痛む痛む。
 それもあって、ついつい朝寝坊をしてしまう。


 カール・ベーム指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番&ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲<ドイツ・グラモフォン>を2度聴き、CDレビューをアップする。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。


 続けて、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>を聴く。


 仕事関係の作業を進めたり、下鴨車窓の『煙の塔』の劇評について考えたりする。
 ほかに、許光俊の『世界最高のピアニスト』<光文社新書>、山田真一の『オーケストラ大国アメリカ』<集英社新書>、古川隆久の『昭和天皇』<中公新書>の拾い読みもした。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ジュリアード弦楽4重奏団の来日コンサートのライヴ録音を聴く。
 ハイドンの弦楽4重奏曲第57番、マルティーノの弦楽4重奏曲第5番、ベートーヴェンの弦楽4重奏曲第13番(大フーガつき)が放送されていた。
 確か、メンバーの変更があったはずだが、この団体の塩辛い音質は今も健在だなあ。


 続けて、アルテミス・カルテットのCDを再び聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『煙の塔』の劇評を書き進めたりする。
 劇評は、本当に書きあぐねている。
 よそ行きの文章を仕上げたあと、くだけた調子の文章も書いてみるつもりなのだけれど。

 ほかに、『昭和天皇』の拾い読みをした。


 今日は、チョコレートソフトクッキーを食す。
 近くのダイソーで購入したもの。
 チョコチップ入りのチョコ地のソフトクッキーで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figaro at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カール・ベームとウィーン・フィルの来日公演から、ブラームスとワーグナーを聴く

☆ブラームス:交響曲第1番他

 指揮:カール・ベーム
管弦楽:ウィーン・フィル
(1975年3月22日/アナログ・ステレオ・ライヴ録音)
<ドイツ・グラモフォン>UCCG-4489


 独墺系を代表する巨匠指揮者だったカール・ベームが亡くなったのは、1981年の8月14日。
 僕がクラシック音楽をちらちらと気にするようになったのは、それから一年後の1982年頃。
 加えれば、僕がクラシック音楽にどっぷりとはまり込んだのは、さらに二年後の1984年頃。
 つまり、一応同じ時代を生きてはいたものの、僕がカール・ベームの存在に気付いたのは、彼が亡くなってからあとのことだった。
 だから、ベームが晩年の手兵ウィーン・フィルと録音したブラームスの交響曲第2番<ドイツ・グラモフォン/LP>やブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」<LONDON/CD>を愛聴はしつつも、どこか過去の人というイメージをぬぐい去ることはできなかった。
(そうそう、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したモーツァルトの交響曲第39番〜第41番「ジュピター」の廉価LP<fontana>も中古で入手していたが、どうも素っ気ない感じがしてあまり聴き込むことはしなかったっけ)
 そして、年長のクラシック音楽の愛好家の方から、ベームとウィーン・フィルの来日公演は凄かったと聴かされるたびに、僕はベームと自分との時間のずれを改めて強く感じたりもした。

 そんなベームとウィーン・フィルの来日公演のうち、1975年3月のライヴ録音が久しぶりに再発されることとなり、その中から3月22日のコンサートの、ブラームスの交響曲第1番とアンコールのワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲がカップリングされたものを購入することにした。
 なお、音源はNHKによるもので、国内のドイツ・グラモフォン・レーベル(ユニバーサル・ミュージック)がリリースを行っている。

 20世紀の終盤、後期ロマン派の作品に関しても、いわゆるピリオド・スタイルによる解釈が進んで、実際ブラームスの交響曲第1番でも、ロジャー・ノリントンとロンドン・クラシカル・プレイヤーズ<EMI>をはじめ、速いテンポでメリハリのよく効いた、作品の持つどこかぎくしゃくとした感じまで強調するような演奏が徐々に市民権を得るようになってきた。
 それに対して、ベームは、王道中の王道と評すべきか、過度に速からず過度に遅からず、鳴らすべきところではたっぷりと鳴らし、歌うべきところではじっくりと、しかし粘らず歌う、作品の長所は前面に押し出し、短所急所は巧く馴らして聴かせるという、実にオーソドックスな音楽づくりを行っている。
 中でも、第4楽章の有名な旋律がこれほどしっくりくる(ああ、この曲もここまでやって来たんだと思える感慨、と言い換えてもいいかな)演奏を聴くのは、本当に久しぶりのことだ。
 そして、ライヴ特有の傷は多々ありつつも、ベームの解釈にしっかりと応えるウィーン・フィルの存在も当然忘れてはならないだろう。
 特に、弦楽器の美しさには聴き惚れる。
 また、カップリングのワーグナーでは、ベームとウィーン・フィルの劇場感覚がよく示されているのではないか。
 いずれにしても、こうした演奏を生で聴くことができなかったことがとても残念でならない。
 お客さんたちの激しい拍手を聴けばなおさらのこと。

 音質はとびきりのものとは言えまいが、演奏を愉しむという意味では、それほど問題はないとも思う。
 クラシック音楽好きには、大いにお薦めしたい一枚だ。


 ところで、最後に付け加えるならば、今回の1975年3月のベームとウィーン・フィルの来日公演のライヴ録音の再発のあり様に関しては、正直僕は全く感心しない。
 と、言うのも、各公演日のプログラムを優先させたカップリングにすればよいものを、あちらからこれ、こちらからこれとごちゃまぜにした、ばらばらなカップリングを行っているからである。
 こうしたことは、LP時代の音源をCD化する際、往々にして起こりがちなことではあるのだが、少なくとも今回の録音に関しては、ドキュメント的な意味合いもあるわけで、どうしてこんなことになるのかと、非常に残念でならない。
posted by figaro at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月12日

二宮組の撮影に参加した

 晴天。
 いいお天気、いい青空だった。

 気温も上昇、穏やかな感じの一日となる。
 朝夕の冷え込みは厳しいが。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザなどにはお気をつけくださいね。


 昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、3時過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 朝早めに起きて仕事関係の作業を進めたのち外出し、近くのブルーアイズへ。
 二宮健監督の新作『SLUM-POLIS』の撮影にエキストラとして参加するため。
 で、ライヴハウスでのシーンということで、ミュージシャンの方々の演奏にあわせて飛んだり跳ねたりと、40を過ぎた膝いたおっさんには相当大仕事となった。
 ほぼじっと立ったままだった、先日の組の幹部然とした人物とは大違い。
(二宮監督はじめ、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする)

 で、大まかな撮影が終わったため、作業の関係もありはけさせてもらうことにする。
 15時少し前に帰宅。


 帰宅後、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>を2度聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、下鴨車窓の『煙の塔』の劇評について考えたりする。


 18時過ぎに再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、ベスト・オブ・クラシックで、横山幸雄のショパンのピアノ独奏曲全曲演奏会から最終回のライヴ録音を聴く。
 この連続演奏会は、ショパンも愛用したプレイエル・ピアノを使ったもので、マズルカや幻想ポロネーズ、舟歌などがプログラミングされていた。
 そして、最後の最後に「別れの曲」が演奏された。


 続けて、再びアルテミス・カルテットのCDを聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進める。


 『怪談』を読了する。
 ラフカディオ・ハーンの『怪談』を現代風にアレンジした短篇集だった。

 ほかに、許光俊の『世界最高のピアニスト』<光文社新書>の拾い読みをする。


 今日は、花心堂のどら焼を食す。
 壬生のローソンストア100で、50円びきだったもの。
 粒あん入りのどら焼きで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月11日

あと一年半しか生きることができないとしたら

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日となる。

 気温は上昇せず、寒さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザなどにはお気をつけくださいね。


 昨日は、夕方前に外出して元・立誠小学校へ足を運び、京都学生演劇祭のAブロックを観たあと(前々回の記事をご参照のほど)、閉会式に参加、さらに交流会(打ち上げ)にも参加する。
 関係各氏といろいろと話しをした。


 24時過ぎに帰宅後、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>を3度聴いたり、NHKラジオ第1のラジオ深夜便の特集を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭Aブロックの観劇記録や極私的な賞(前回の記事をご参照のほど)をブログ等にアップしたりして、5時過ぎに寝床に入る。
 生や死についていろいろと考えていて、ほとんど眠ることができず。
 あと一年半しか生きることができないとしたら。

 朝早めに仕事関係の予定をすませる。

 その後、再び寝床を敷き直し睡眠をとる。


 俳優の納谷吾朗が亡くなった。83歳。
 立命館大学を中退後、劇団テアトル・エコーをはじめ舞台で活躍するとともに、その凄味と渋みの効いた個性的な声質を活かし、洋画やアニメの吹き替えでも広く知られた。
 中でも『ルパン三世』の銭形警部が有名で、同じテアトル・エコーのメンバーだった山田康雄演じるルパン三世とのやり取りは、本当に懐かしい。
 深く、深く、深く、深く黙祷。
(なお、陽性で軽めの声質で知られる納谷六朗は実の弟。また、日本共産党の支持者でもあり、学生時代、納谷さんのそういった姿勢について、関係各氏よりいろいろとお話をうかがったことがある)


 作詞家の石坂まさをも亡くなった。71歳。
 演歌歌謡曲の作詞家として活躍し、『圭子の夢は夜ひらく』など、藤圭子との共同作業で知られた。
 また、笑福亭鶴光のオールナイトニッポンで揶揄の対象となっていたことを、僕はおぼろげに記憶している。
 深く、深く黙祷。


 アルテミス・カルテットのCDを聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、下鴨車窓の『煙の塔』の劇評について考えたりする。


 升本喜年の『映画プロデューサー風雲録』<草思社>を読了する。
 高橋英樹に関する記述など、辛辣な部分を含んだ内容で、実に面白かった。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、コリン・デイヴィス指揮ウィーン・フィルのコンサートのライヴ録音などを聴く。
 モーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」、ヴァイオリン協奏曲第4番(ニコライ・ズナイダーの独奏)、交響曲第40番等に、シュターツカペレ・ドレスデンとの交響曲第31番「パリ」のCD録音が放送されていた。
 ちなみにこれは、先日、津波警報のため、ほとんど放送が中断されていたものの編集再放送である。


 続けて、またもアルテミス・カルテットのCDを聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、下鴨車窓の『煙の塔』の劇評について考えたりする。


 柳広司の『怪談』<光文社>を読み始める。


 今日は、不二家のLOOK(サーティーワンアイスクリーム)を食す。
 卸売ひろばタカギで、税込み52円だったもの。
 ストロベリーチーズケーキ、ジャモカコーヒー、バニラ、レモンシャーベットの四つのクリーム入りの小ぶりなチョコレートで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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第3回京都学生演劇祭 中瀬宏之の極私的な賞

☆第3回京都学生演劇祭 中瀬宏之の極私的な賞


 第3回目となる京都学生演劇祭が、今夜無事終了した。
 去年に引き続き、公演のご招待をいただいたこともあり、参加16団体(うち、KAMELEONと劇団愉快犯は再見)と特別公演4団体、あわせて20団体を拝見することができた。
 今回の京都学生演劇祭に関しては、開催以前より運営等についてツイッターなどで発言を繰り返してきたが、まずは参加団体の皆さん、実行委員の皆さん、沢大洋さん、ちっくさん、浅田麻衣さんやスタッフの皆さん、審査員の松原利巳さん、田辺剛さん、杉原邦生さんのご健闘を讃えご苦労を労いたいと思います。
 本当にお疲れ様でした。

 そして、審査員の皆さんの審査、さらには昨年同様、笑の内閣の高間響上皇の審査の屋上屋を架す形となりますが、僭越ながら、中瀬宏之の極私的な賞を発表させていただきたいと思います。
(こちらは、閉会式終了後の交流会で一部発表したものの完全版です。なお、敬称は略、原則パンフレット掲載順とさせていただきます。また、解説文の有無には他意はありません)



*最優秀作品賞:劇団愉快犯『作り話』

 昨年の西一風『話の時間』の衣鉢を継いだウエルメイドプレイの佳品。
 笑えて泣けて、愉しむことができました。
 僕の心の中では、同点の最優秀作品賞です。


*同:吉田寮しばい部『きずあと』

 伝えたいことを真正面から伝えようとする作り手の姿勢と、その内容、そして真摯な演技に心を強く動かされました。
 評価されにくい作品だろうからこそ、僕は同点最優秀作品賞とします。


*優秀作品賞:ヲサガリ『それからの子供』
*同:喀血劇場『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』
*同:劇団紫『天使のはなし』


*最優秀演出家賞:近衛虚作(喀血劇場)

 昨年に続いての受賞。


*最優秀チーム賞:飴玉エレナ

 飴玉エレナに関しては、山西竜矢君の演技が高く評価されていますが、それには石井珈琲君の演出、そして南秋穂さん、ナッツさん、タジマユリカさん、マツモトサワさんらスタッフ陣との共同作業、チームワークの存在が大きいように感じました。
 そうしたことを考えて、僕はあえて山西君個人にではなく、飴玉エレナという一つのチームに賞を捧げたいと思います。


*最優秀主演女優賞:田中沙依(KAMELEON)

 イヨネスコという難しいテキストに対する田中さんの悪戦苦闘と、公演開催中の変化は、今後の活躍を期待する意味でも高く評価したいと思います。


*最優秀主演男優賞:小川晶弘君(ヲサガリ)

 昨年、優秀助演男優賞の小川君です。
 小川君、どんどんよくなっているなあと感心し感嘆します。
 京都マラソンも本当にお疲れ様でした。


*同:北川啓太(劇団愉快犯)

 かつての月面クロワッサンや劇団テンケテンケテンケテンケの公演では、笑いの面、トリックスター的側面が強く表われていた北川君ですが、今回の作品では彼のシリアスな面での好演を観ることができました。


*同:辻斬血海(吉田寮しばい部)

 今は亡き信欣三を想起させる、エロキューションに演技。
 拙さの巧さと言いたくなるような、どこか祈りにつながるかのような心からの演技には敬服せざるをえません。


*優秀主演男優賞:河尻光(KAMELEON)

 河尻君のぶれない雰囲気、静かな狂気は、強く印象に残りました。


*優秀主演男優賞:コバ(劇団紫)

 ちょっと『エスパー魔美』の高畑君っぽい、人が良くてナイーヴで繊細で向日性に富んだ主人公を好演して魅力的でした。


*最優秀助演女優賞:鈴木ちひろ(喀血劇場)

 まさしく身体を張った演技。
 笑の内閣などでも活躍中の鈴木ちひろさんですが、今後も幅広く活躍していってください。


*優秀助演女優賞:富永琴美(同志社小劇場)

 使い勝手がよい、というと語弊がありますが、アンサンブルを重視した作品でのさらなる活躍を心より期待したいです。

*同:葉月(演劇実験場下鴨劇場)
*同:ジェントル(劇団テフノロG)
*同:くらやみ(劇団紫)


*最優秀助演男優賞:伊藤泰三(喀血劇場)

 東京乾電池や東京ヴォードヴィルといった、かつての小劇場の俳優陣を思い出す演者さん。
 タチバナという小役人の哀歓を演じ切って見事でした。


*同:五分厘零児(吉田寮しばい部)

 地方の町で漁業に従事する男のどうにも鬱屈した心情を、真摯に演じていて強く心魅かれました。


*優秀助演男優賞:うめっち(劇団蒲団座)
*同:イマじろう!!!!(劇団月光斜)
*同:谷脇友斗(劇団愉快犯)
*同:三宅陽介(同)
*同:迅(劇団紫)

 谷脇君は、最優秀に選ぶべきかどうしようかとても迷いました。
 本当に僅かの差での結果です。
 イマじろう!!!!君は、その老練さが、うめっち君と三宅君は独特の「フラ」(おかしみ)が、迅君はコメディリリーフぶりが強く印象に残りました。


*最優秀パフォーマンス賞:坂口弘樹、榎本篤志(劇団蒲団座)

 劇団蒲団座の観劇記録に記したように、youtubeにアップされた笑いのネタをほぼそのまま、なんの断りもなしに使用した坂口君には、正直失望しているのですが、坂口君、榎本君のパフォーマンスはやはりとても魅力的でした。
 繰り返しになりますが、団内事情を一度取り払って、ぜひとも「ノンバーバル」なパフォーマンスに挑戦してください。
 きっと「演劇」なんて枠にとらわれないお客さんを得られることと思います。


*最優秀男性キャラクター賞:谷岡和巳(劇団月光斜)

 硬軟ふり幅の広いキャラクターを谷岡君はとてもよく造り込んでいたように思います。
 素晴らしかったです。


*優秀男性キャラクター賞:髭だるマン(喀血劇場)


*最優秀女性キャラクター賞:右田梨子(同志社小劇場)

 悠木千帆時代の樹木希林を思い起こさせる、舞台上に寝そべった右田さんのふてぶてしい感じが、とても印象に残りました。


*最優秀ゲスト賞:永榮紘実(劇団愉快犯)

 劇団愉快犯の日替わりゲスト。
 ケッペキ所属の永榮さんは、ほんの一瞬で女丈夫ぶりを魅せつけました。
 永榮さん、ぜひぜひ今後ともお芝居を続けてください!
 これからも愉しみにしています。


*優秀ゲスト賞:横山清正(同)


*最優秀インパクト賞:コロッポックル企画のくすぐり「ワインガルトナー」

 巨匠指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに対抗する指揮者として、フェリックス・ワインガルトナー(第二次世界大戦前に活躍した独墺系の指揮者で作曲家、音楽理論家。ベートーヴェンのスペシャリストとして有名で、戦前来日し、夫人ともども新交響楽団=現NHK交響楽団を指揮しています)を持ち出すなんて。
 参考文献(ネットの記事)をそのままひいたのでしょうか?
 それにしても、クラシック音楽好きには驚きのくすぐりでした。


*最優秀司会者賞:作道雄(月面クロワッサン)

 特別公演のインタートークや大交流会、閉会式、さらには交流会(打ち上げ)と、団体の作品性には踏み込まず、各々の表層をよくとらまえた手際のよい仕切りは、学生演劇祭の方向性との兼ね合いで様々な評価の対象となるかとも思いますが、まずもってその司会者としての技術手腕に関しては、やはり賞を与えておかねばと考えました。
 なお、諸般の事情で最優秀秋元康賞の授賞は中止しました。


*ホープ賞:若林りか(コロポックル企画)

 作品そのものの評価は置くとして、彼女の創作、表現活動への切実な想いと、開会式閉会式で見せた雰囲気には、「化ける」可能性を強く感じました。
 彼女の今後の活動に注目していきたいです。


*同:村上千里(KAMELEON)

 学生演劇祭に既成台本、それもイヨネスコでぶつかった村上君の心意気を大きく買います。


*同:左子光治(コントユニットぱらどっくす)

 左子君の社会の諸々を笑いのめそうという「向き合い方」と、関西の笑いの骨法の咀嚼のあり様は、これからの活動がとても愉しみです。
 さらに刺激に富んだ笑いを待っています!


*努力賞:ヒラタユミ(劇団紫)

 ヒラタさんのこの一年の努力、変化はやはり今回の学生演劇祭の中で強く印象に残りました。
 今回は、各劇団のモチベーションの有無が強く問われ始めた学生演劇祭でもありましたが、他の劇団に刺激を受けて、より優れた(面白い)作品を造りたい、より優れた(面白い)作品をお客さんに観ていただきたいというモチベーションと、実際の変化に関する評価も、やはり担保されていかなければならないのでは、と僕は強く思います。
 それが万一一切失われてしまったとき、この学生演劇祭は存在理由を失ってしまうのではないでしょうか。
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京都学生演劇祭(第3回)Aブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Aブロック
(2013年3月10日16時スタート/元・立誠小学校 音楽室)



○演劇実験場下鴨劇場 『宇宙の果て。』(京都府立大学)

 脚本・演出:鴨川J子


 昨年、『裏浦島太郎の話。』というぶっとんだ作品で一躍脚光を浴びた下劇。
 今年もなんぞやらかしてくれるだろう、と愉しみにしていると、あれあれべたな調子で始まったなあ。
 うむむ。
 と、唸っていたら、ほうらやっぱり。
 仕掛けてきたな、オフビートな線で。
 が、その確信犯の部分とシリアスな部分との噛み合わせがどうも今一つで、なんとも乗り切れなさを感じてしまった。
 もう二捻り三捻りあれば…。
 薮内準君以下、演者陣もオフビートの笑いにぴったりな顔触れだったのだけれど。
 どうしても、西城瞳の不在をひしひしと感じたのだった。



○劇団蒲団座 『This is a penの絶望 〜ミニミニ王国を封鎖せよ!〜』

 脚本・演出:坂口弘樹


 昨年の京都演劇祭で、身体性を重視した学生劇団らしからぬパフォーマンスで、清冽な印象を与えてくれたのが、劇団蒲団座だ。
 で、今回も、昨年同様身体性を重視した作劇にはなっていたのだが。

 これは同じ坂口君が作・演出した番外公演『幻想忌憚フェスタ 2012』にも感じたことなのだけれど、「ノンバーバル」というか、もっとずっと身体性(ダンス)の部分に特化すればいいのに、無理に台詞が書き加えられているような感じで、なんだかもったいない気分になった。
 例えば、特別公演のドキドキぼーいずの『Zoo』みたいに、台詞を極力削ってさあ。
 昨年の演劇祭、番外公演、そして今回にも共通する出口のない迷宮に登場人物が放り込まれるという設定は活かした上で。
 いや、学生劇団の性質上、できるだけ多くの団員を舞台上に立たせたいという気持ちはわからないでもないし、お客さんに愉しんでもらおうという坂口君以下、蒲団座の面々の想いや今のこの国の現状をちょっと茶化してみようという趣向は汲み取れもしたのだけれど。

 それと、今回の蒲団座の作品でどうにも残念だったのは、youtubeに投稿されている笑いのネタをなんの断りもなしに、ほぼそのまま使っていたこと。
 ある人のツイートでたまたまこの笑いのネタを知ったが(その人は蒲団座のことを名指ししていない)、ネタをいただくならば、もっと巧く加工すればいいし、それが無理というのなら、いただいたことをなんらかの形で明らかにすればいい。
 そのいずれかが為されていないのであれば、それはただのパクリ剽窃だ。
 そしてそのことは、先述した台詞つきの芝居を無理から作ってしまっていることとも大きくつながっているとも、僕は思う。

 坂口君、僕は君の「ノンバーバル」の作品を心待ちにしている。



○飴玉エレナ 『転がる紳士たち』(同志社大学)

 脚本:石井珈琲
 演出:石井珈琲、山西竜矢


 王磨かざれば、じゃないや。
 玉磨かざれば光なし。
 と言うが、磨き方を誤れば、玉にはどんどん傷がつく。
 どころか、いつしか傷は拡がって、それこそ玉と砕け散る。
 ことだってないとは言えない。

 前回の公演『記憶のない料理店』を観て、ふとヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』を思い出した飴玉エレナだけれど、今回も、まるで研ぎ澄まされたガラス玉のようなきれいに磨かれた、そしてしっかりと閉じられた作品世界を造り上げていたのではないか。
 山西竜矢という演技者の今現在持てる特性魅力が十二分に発揮されていたように思う。
 もちろんライヴ特有の傷もありはしたし、若干先読みの出来るテキストであったことも否定できないが、それでも45分という限られた時間に、山西君のあれやこれやを盛り込んで見せたという点は、やはり評価しておかなければなるまい。

 そういえば、『記憶のない料理店』の感想で、僕は山西君や石井君に「完璧」を求めるかのような言葉を記したのだけれど、あれはあくまでも長い時間のスパンで願っていることで、今すぐどうこうという話ではない。
 それどころか、石井君が山西君用に仕立て直した『ハムレット』や『マクベス』、『リア王』なんかを英訳して、海外のこういった演劇祭に持って行くという遠回りを促すほどだ。
(そうすれば、演技に傷がつくのはほぼ当たり前。もっと完全にもっと完璧にと求め過ぎて、山西君が疲弊するというリスクも軽減されるだろうから。いや、そうしたらそうしたで悩みは尽きないだろうけど…)

 いずれにしても、僕は30年後、40年後の山西君の演技、飴玉エレナの活動を愉しみにしたい。
 そのためにも、僕は長生きしなくちゃいけないし、山西君にも自分を追い詰め過ぎずゆったりじっくり演劇活動を続けて欲しい。
 そう。
 山西、脳天を打つな!
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2013年03月10日

今日は再び京都学生演劇祭へ

 晴天。

 気温は今日も上昇し、穏やかな一日。
 その分、花粉禍もひどく、マスクを2枚重ねてなんとかしのぐ。
 耳がいたくなるのでやなんだけどさあ、これだけは仕方がない…。


 昨夜、3時半近くまで升本喜年の『映画プロデューサー風雲録』<草思社>を読み進めたり、仕事関係の作業を進めたりする。


 朝早めに起きて、仕事関係の作業を進める。


 正午少し前に外出し、木屋町通の元・立誠小学校へ。
 またも京都学生演劇祭である。
 で、講堂でCブロックを再見し、音楽室でBブロックを観た。
 詳しくは、前々回前回の記事をご参照のほど。

 関係各氏と話しをしたり、あいさつをしたりする。
 老若男女問わず、いろいろな人と意見を交換できるのも、こうした演劇祭の収穫の一つである。


 帰りがけ、Avisで中古CDを1枚購入し、21時少し前に帰宅する。


 帰宅後、NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴く。
 「福島県にささぐ」のタイトルで、古関裕而と草野心平が特集されていた。
 『モスラ』の音楽(作品の肝の部分もしっかり説明)や『長崎の鐘』が選曲されるなど、片山杜秀の明確な意図のもとに組まれたプログラムだと思った。
(そうそう、片山さんのパートナーである藍川由美が歌った録音も選ばれていたんだった)


 その後、購入したばかりの、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>を3度聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、観劇記録をアップしたりする。


 以上、3月9日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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京都学生演劇祭(第3回)Bブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Bブロック



○コロポックル企画 『すぐ泣く』(同志社大学)

 脚本・演出:若林りか


 僕はクラシック音楽が大好きだ。
 JAM、イエモン(吉井さん)、aikoにフォーク・ナツメロ、それに落語をのぞくと、買うCDといえば決まってクラシック音楽だ(詳しくは、CDレビューをご参照のほど。買うも買ったり、聴くも聴いたり)。
 だから、お芝居の中でクラシック音楽が使われると、よくも悪くもすぐに反応してしまう。
 で、コロポックル企画の『すぐ泣く』の場合は、前者のよい反応。
 まずもって、クラシック音楽の使い方がとてもいい。
 まして、作中指揮者の名前がくすぐりに使われた日にゃ、もうおしまい。
 それだけで点が甘くなる。
(にしても、片方の指揮者はまだしも、もう一方の指揮者のことを知ってる人なんて、今日のお客さんの中にどれだけいたのかな? Wikiったにしてはけっこうマニア受けな人物だし。クラシック音楽関係の漫画やドラマの影響かなあ。余談だけど、片方のマニア受けな指揮者は、戦前来日して夫人ともども新交響楽団=現在のNHK交響楽団を指揮してもいる)

 まあ、そのことはひとまず置くとして。
 コアなファンのお客さんもいたのだろうか、素朴でべたな感じのする笑いの仕掛けに客席もけっこうわいていたし、僕自身、演者陣のインティメートな雰囲気には好感を持ったりもした。

 ただ、それより何より、僕の印象に強く残ったのは、登場人物の音楽家に仮託された、若林さんの芸術や表現活動に対する切実な想いだった。
 そして、時間をかけてそうした想いをより突き詰めていけば、もしかしたら若林さんは大きく「化ける」可能性があるようにも思った。

 その線で精度が上がっていくとなると、今現在のコロポックル企画の特性であるインティメートさ、素朴さは損なわれてしまう気がしないでもないが。

 いずれにしても、僕は若林さんの今後の創作活動に注視していきたい。

 そうそう、帰りがけ、前々から欲しい欲しいと思っていたアルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>をAvisで見つけ即刻購入したのだけれど(税込み437円は安過ぎ)、『すぐ泣く』を観たあとで見つけるとはなあ、とちょっと思ったりもした。



○虹色結社 『はこにわ』(京都造形芸術大学/無所属)

 脚本・演出:村田レナ


 お芝居をやりたいという強い想いと、何かを伝えていきたいという強い表現欲求を感じとることはできたし、限られた時間の中で演者陣も努力を重ねていたようにも思うのだが。
 残念ながら、作品としても演者陣のアンサンブルとしても、まだしっかりまとまりきれていないもどかしさを強く感じたことも事実だ。
 昨年11月の結成というから、生まれてまだすぐ。
 これから、どしどし挑戦を重ねていって欲しい。



○劇団月光斜 『僕と殺し屋とレインポップ』(立命館大学)

 脚本・演出:伊藤ハジメ


 お客さんにも愉しんでもらうけど、造り手の自分たちも積極的に愉しむ。
 という姿勢が明瞭に表われているのが、劇団月光斜だ。

 元・立誠小学校の音楽室にしては、少々声が張り過ぎなのでは、と思ったりもしたのだけれど、スピーディーでテンポがよく、エネルギッシュな演技(ダンスや音楽も効果的)にぐいぐい引っ張られた公演だった。

 ただ、確信犯的な作劇であろうとは思いつつも、45分という上演時間の制約もあってか、何かより長めの作品のダイジェストを観ているような物足りなさ、目の詰まらなさ、都合のよさを感じてしまったことも否定できない。
 饅頭の皮の部分が美味しい(演者陣も熱演)だけに、そのことが僕にはとても惜しい。



○ヲサガリ 『それからの子供』(京都工芸繊維大学)

 脚本・演出:久保田文也


 ヲサガリは、昨年ドミノ並べ(倒し)の仕掛けを持ちこんで強い印象を残した「フク団ヒデキ」を母体にして生まれた劇団だ。
 で、そのヲサガリは、今年も大きな仕掛けを試みていたのだけれど、それが単なる仕掛けのための仕掛けに終わらず、作品の世界観、登場人物の真情にぴったりと寄り添っていることに感心し感嘆した。
 過剰ではないユーモアと、ウェットに過ぎないリリカルさをためた佳品。
 特に、終盤以降、僕はぐっと心をつかまれた。
 中でも小川晶弘君が好演。
 ああ、面白かった!
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2013年03月09日

京都学生演劇祭(第3回)Cブロック 再見

☆京都学生演劇祭(第3回)Cブロック 再見


 初日のいっとう最初、しかもラーゲリ然とした厳寒の講堂で観ただけではと思い、Cブロックを再見することにした。
 なお、途中どうしても退席せざるをえない事情があり、テフノロGは未見。
 本当に申し訳ない。



○KAMELEON 『新しい下宿人』(京都造形芸術大学)

 脚本:ウジェーヌ・イヨネスコ
 演出:村上千里


 公演を重ねて、舞台上の家具類、だけではなく、演出や演技の、そして作品の色がようやく見えて来たのでは、というのが一番の感想だ。
 当然、一度観ているということが大きいのだけれど、狂気と狂気(もしかしたら、狂気のように見える正気と正気のように見える狂気、もしくはいずれかがランダムで)の対峙といった作品のあり様をより受け取れたようにも思う。
 河尻光君はぶれない演技。
 一方、田中沙衣さんはよく健闘していた。
 また、脇を固める福久聡吾君、片山将磨君も存在感を増していたのではないか。
 演出演者ともに、今回の公演で明らかになった課題を、少しずつクリアしていってもらえればと思う。

 そうそう、小林信彦がかつて売り出し中のザ・ドリフターズのバラエティ番組のためにコントに造り直したという(青島幸男と中尾ミエが主演)、同じイヨネスコの『二人で狂う』を、村上君の演出で観てみたいとふと思った。
 とてもアクチュアリティを持った作品だと思うしね。



○劇団愉快犯 『作り話』(京都大学)

 脚本・演出:玉木青と劇団愉快犯


 演者によって若干の調子の良し悪しはあったように感じたが、すでに作品を知っていても、いや知っているからこそ、伏線の張り具合もわかって、存分に愉しむことができた。
 そして、ゲストの永榮紘実さん。
 思った通りいい。
 本当にいい。
 永榮さんは、ますます目が離せないや。
 お芝居、辞めないでよ!
(浜木綿子や清川虹子みたいな女丈夫の役も似合いそう。あと玉木君、ブレヒトの肝っ玉母さんやってみない、永榮さんのおっかあで)
 ああ、面白かった!
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2013年03月08日

花粉禍 部屋で作業を進める

 青空は見えつつも、どんよりとした感じも強いお天気。

 気温は今日も上昇。
 花粉禍が激しく、目の周りの痒みやくしゃみ連発に悩む。
 ああ。


 昨日は、お昼過ぎに外出し、木屋町通の元・立誠小学校へ。
 まず、音楽室で特別公演を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 その後、大交流会に参加する。
 自由な交流タイムが中心かと思っていたら、前半戦の成績発表がどうやらメイン。
 企画外企画劇場で慣らした、作道雄君の巧妙な仕切りもあったりして、ちょっとAKB48っぽいイベントだなあと思う。
 で、こちらは、笑の内閣の高間響上皇とともに、学生でもないのに大きな声援(?)を送るなど、痛くて幼稚なおっさんぶりをさらしてしまった。
 それと、大阪芸大の劇想からまわりえっちゃんの面々が、トリックスターぶりをいかんなく発揮していた。
 正直言えば、こんな雰囲気の作品を特別公演で観たかったなあ。
(まあ、それはそれとして、このイベントは、5日のパネルディスカッションで作道君自身が発言していた、各劇団の「モチベーション」の有無を計る意図があるんじゃないか、と若干感じたことも事実だ)

 それから、交流(歓談)会で、関係各氏といろいろ話をする。
 また、シマフィルムの田中誠一さんや、牧野裕也さん、ライターの石塚就一さんがお越しだったので、運営の面々や学生さんなどをご紹介したりもした。
(新作『太秦ヤコペッティ』や来年度スタートのシネマカレッジ京都について、お話いただけたようで何よりだ)

 さらに打ち上げにも参加し、24時過ぎに帰宅した。


 5時まで仕事関係の作業を進める。


 朝早めに起きて、仕事関係の作業を進める。


 KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』や、ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団が演奏したワーグナーの管弦楽曲集(2枚)<TELDEC>を聴いたりしながら、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を行ったり、下鴨車窓の『煙の塔』の劇評(依頼によるもの)を考えたりする。


 森絵都の『異国のおじさんを伴う』<文藝春秋>を読了する。
 ああ、面白かった!


 夕方になって外出し、下京図書館へ。
 『異国のおじさんを伴う』、日下部五朗の『シネマの極道』<新潮社>、稲葉稔の『圓朝語り』<徳間書店>を返却し、升本喜年の『映画プロデューサー風雲録』<草思社>、柳広司の『怪談』<光文社>を新たに借りる。

 それから夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、NHK FMのベスト・オブ・クラシックで、アンドレイ・ボレイコ指揮北ドイツ放送交響楽団の演奏会のライヴ録音を聴く。
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ユジャ・ワンの独奏)、ビゼー作曲、ホロヴィッツ編曲のカルメン変奏曲、チャイコフスキーの組曲第3番が演奏されていた。
 ワンの演奏では、テクニカルな部分での冴えがよくわかる、アンコールのカルメン変奏曲が聴きものだった。
 一方、ボレイコ指揮のチャイコフスキーの組曲第3番は、密度の濃い充実した内容だったと思う。


 続けて、エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第7番<TELDEC>、ウィン・モリス指揮ロンドン交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第10番の第1楽章<IMP>を聴く。
 ベートーヴェンの交響曲第10番の第1楽章というのは、マーラーの交響曲第10番の第1楽章にでも影響を受けたのだろうか、イギリスのバリー・クーパーという音楽学者がベートーヴェンの遺したスケッチか何かをもとに補作したもので、その諸々とクーパー自身が読売日本交響楽団を指揮して世界初演(セッション録音)した模様は、日本テレビ系列の『TVムック 謎学の旅』という番組で放映されもした。
 実は、このクーパー指揮読売日本交響楽団による世界初演録音の非売品CDを番組のプレゼントで入手して、時々聴いたりしていたのだけれど、院生時代に友人に譲ってしまった。
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の第2楽章に似た主題が、同じくベートーヴェンの交響曲第9番「合唱つき」の第3楽章のように展開する冒頭部分、一転なんだかシューマンの序曲を思わせる激しい展開の中間部、そして再び冒頭部分が繰り返されるという、約20分程度の作品だけれど、まあ旦那様、悪いご冗談を、という感じか。
 そういえば、このウィン・モリス指揮のもののほか、ヴァルター・ヴェラー指揮バーミンガム・シティ交響楽団による演奏<CHANDOS>、ダグラス・ボストック指揮チェコ室内フィルによる演奏<CLASSICO>がリリースされていたんだった。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『映画プロデューサー風雲録』を読み始める。
 先頃、東映京都撮影所のプロデューサーだった『シネマの極道』を読み終えたばかりだが、こちらは松竹大船撮影所のプロデューサーを務めた升本喜年が自らの生涯を振り返った一冊。
 プロデューサー経験者が書くものだけをとってみても、松竹と東映の違いが如実に示されているようで、実に面白い。
(なお、松竹の場合は、監督中心主義のため、プロデューサーの地位が東映に比べると相当低かった)


 今日は、東ハトのキャラメルコーン・でっかい!を食す。
 壬生のローソンストア100で購入したもの。
 おなじみキャラメルコーンの5倍、おまけにローストピーナッツも5倍と、まさいく、でっかい!
 が、大は小を兼ねるという具合にはいかず、大きいことはいいことだと歌うことはできなかった。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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京都学生演劇祭(第3回)特別公演

☆京都学生演劇祭(第3回)特別公演
(2013年3月7日15時スタート/元・立誠小学校 音楽室)


 京都学生演劇祭も中日。
 今日は、全国各地の学生演劇祭からの参加団体などによる、特別公演を観た。



○gekidan U 『二十歳の戦争』(多摩美術大学)

 原案:西岡憂
 脚本・演出:遠藤遊


 多摩美術大学のgekidan Uは、東京ではなく京都学生演劇祭枠での出演。
 で、彼彼女らの公演に、僕はどうしても笑いをこらえることができず、笑い声を上げてしまった箇所がいくつかあった。
(Factory Kyotoの松山君が、笑いを堪えるのに…といった辛いツイートをしていて、そんなことあるの、と思っていたのだけれど)
 と、言うのも非常にナイーヴに過ぎるように思われてならない遠藤君の脚本(台詞と世界観)が、「演劇を全く知らない状態から」立ち上げて一年ほどの劇団ということもあってだろう、いささか感情過多と感じられる抑揚台詞づかいで語られていたため、僕にはどうにも我慢がならなかったのである。
 遠藤君や演者の皆さんが自分たちの伝えようとすることについて、とても真摯であることは充分にわかったので、笑ってはいけないと必死にこらえていたのだが。
 そして、上述したナイーヴさと密接につながることでもあるが、舞台の上で全てが自己完結している、言い換えれば、自己検証性に欠けるように感じられた点もやはり指摘しておかなければならないだろう。
 ビジュアル面での趣向志向(例えば、終盤での宇宙=夜空の表現)は印象に残ったし、ヒロインを演じた山口藍さんの存在感には、今後の可能性を感じたことも事実なのだけれど。
 演劇的な技術面でのどうこうよりも、お客さんとの関係の築き方や、自分自身が伝えようとすること語ろうとすることに「他者の目」を持とうと努めること(伝え方だけではなく、内容そのものにも)に関して、少しずつでも留意していってもらえればと心より願う。



○ドキドキぼーいず 『Zoo』(京都造形芸術大学他)

 構成・演出:本間広大


 ドキドキぼーいずは、京都じゃなくて、岩手県西和賀町で開催されている銀河ホール演劇祭枠での出演。

 昨年の学生演劇祭が終わって。
 パンドラの匣には、希望が残った。

 ちょっと違うかな。
 台詞を極力削って、演者陣の身体に多くを語らせたこの作品については、あんまり言葉を重ねたくないや。
 とても痛切な作品で、途中のあるシーンでさらに心にぐっときた。
 客演の島あや(やはり身体性が魅力だ)、河西美季をはじめ、ドキドキぼーいずの面々を中心とした演者陣も好演。
 本間君も、一人一人の特性魅力をよくとらえていたのではないか。
 ああ、面白かった!
 そして、次回のドキドキぼーいずの公演を心待ちにしたい。


○金星ロケット 『ネーちゃんにもの申す』(名古屋学芸大)

 脚本・演出:エリマキトカゲ


 名古屋学生演劇祭枠では、名古屋学芸大の金星ロケットが参加した。
 出演者の突然の変更というスクランブル発進もあってだろうが、全体を観ての感想は、ああ、惜しい、というものだった。
 中盤のあるあたりで、ちょっと流れが滞ったというか、作品が巧く詰まりきっていない感じがしたのである。
 お客さんを愉しませつつ、いろいろなことを伝えていこうとする姿勢や、作品全体に漂う向日性には好感を抱いたので、できれば改めて長尺の作品を観てみたいと強く思った。



○劇想からまわりえっちゃん 『ピースの反対と言われたら』(大阪芸術大学)

 脚本・演出:森山亮祐


 劇想からまわりえっちゃんといえば、同じ大阪芸大の大田健人監督(『ときどきどきどきしたりした』!)や、昨日(6日)たまたまエキストラとして撮影に参加した二宮健監督の一連の作品(『大童貞の大冒険』では、こちらはこれまたエキストラだったものの共演)で独特のオーラと輝きを発している、「たけさん」こと岸本武亨さんの所属団体。
 でも、たけさんって卒業したはずだし…。
 残念やなあ、と思っていたら、いるじゃあないかたけさんが!
 嬉しさもあって開演前にもかかわらず少し話しをしたのだけれど、「今回は笑いはないですよ」とのこと。
 あれ、からまわりえっちゃんって、笑いにもこだわった劇団じゃなかったっけ。

 と、思って客席に座ると、冒頭、演出の森山君が客いじりも辞さぬとんだ茶番をやり始めて、ああおかしい。
 なんだ、笑いがあるじゃないか、もおたけさん、と思っていたら、あれあれ森山君が「(本編は)全く別物」、みたいなことを言っているよ。

 で、実際始まったのは、基本お茶らけなしのファンタジー。
 ちょっと豊島由香さんっぽいヒロインには、よく造り込みよく入り込んでいるなあと感心したし、他の演者陣(たけさんはコロス的な出演で台詞も少なかった)からも、基礎的な能力の高さが伝わってきたが、残念ながら物語そのものにはあまりぐっと惹き込まれることがなかった。
 たぶん上演時間の制約もあってだろうけど。
 からまわり、じゃなくてちょっとかたすかし…。

 できれば、噂に聞くはっちゃけにはっちゃけた舞台を観てみたいなあ、と言うのが僕の正直な感想だ。
(そうそう、大交流会では、森山君やたけさんらからまわりえっちゃんの面々がけっこういろいろやってくれて、実に嬉しかった)
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2013年03月06日

二宮健監督の新作『SLUM-POLIS』の撮影にエキストラとして参加した

 晴天。

 気温も上昇し、日中は穏やかな感じの一日となる。
 その分、花粉の勢いも増したよう。
 が、夕方以降の冷え込みが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにお気をつけくださいね。


 昨夜、3時近くまで仕事関係の作業を進める。


 朝早めに起きて、仕事関係の予定を片づける。

 その後、阪急、JRの大阪環状線、近鉄を乗り継いで貴志へ。
 そこから自動車で移動し、大阪芸術大学の二宮健監督の新作『SLUM-POLIS』にエキストラとして参加する。
 撮影そのものもそうだけれど、様々な方とごいっしょすることができて嬉しかった。
 二宮監督をはじめ、出演者の皆さんなどとあいさつをする。

 なお、『SLUM-POLIS』は、諸々のシーンごとにエキストラを募集中です。
 詳しくは、Facebook等をご覧いただければ幸いです。
 ご都合よろしい方はぜひ!


 行きと同じ経路で京都に戻り、夕飯用の買い物をすませて、21時半頃帰宅した。


 遅めの夕飯後、ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第33番&第31番「パリ」<TELDEC>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、依頼された文章について考えたりする。


 今日は、サンローゼ株式会社の神戸★純生シュークリームを食す。
 グルメシティで、税込み94円に値下げされていたもの。
 生クリームととろとろのカスタードクリームのシュークリームで、実に美味しうございました。
 疲れたときには、甘いものにかぎるね!
 ごちそうさま!


 癌で闘病中のベネズエラのウゴ・チャベス大統領が亡くなった。58歳。
 中南米の反米左派勢力を代表する人物だった。
 深く、深く黙祷。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2013年03月05日

CDレビューをアップし続けた一日

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 気温もさらに上昇。
 その分、花粉の勢いが増してきたようだ。
 やれやれ。


 昨夜、ABCで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 朝早めに起きて、仕事関係の作業を進める。


 ピリオド楽器のクラリネット奏者、アントニー・ペイとエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団が演奏したウェーバーのクラリネット協奏曲集<Virgin>を聴き、CDレビューをアップする。
 前々々回の記事をご参照のほど。


 オーボエのアルブレヒト・マイヤーとクラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラが演奏したモーツァルトのオーボエ協奏曲&ルブランのオーボエ協奏曲第1番<ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、森絵都の『異国のおじさんを伴う』<文藝春秋>を読み進めたりする。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
 京都学生演劇祭のパネルディスカッションは、予告していたとおり、パスすることにした。


 帰宅後、エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第2番を聴き、CDレビューをアップする。
 前々回の記事をご参照のほど。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、依頼された文章について考えたり、『異国のおじさんを伴う』を読み進めたりする。


 アンドルー・デイヴィス指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏した『マドンナの宝石』(オーケストラ名曲ア・ラ・カルト)<東芝EMI>を聴き、CDレビューをアップする。
 前回の記事をご参照のほど。

 今日は、森永の焼きプリンを食す。
 近くのフレスコで、税込み78円だったもの。
 オーソドックスな焼きプリンで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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アンドルー・デイヴィスが指揮した『マドンナの宝石』

☆マドンナの宝石(オーケストラ名曲・ア・ラ・カルト)

 指揮:アンドルー・デイヴィス
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
(1987年6月/デジタル・セッション録音)
<東芝EMI>CC30-9062(ANGEL BEST100)


 恥の多い生涯を送って来ました。

 齢43を数えるまで、いったいどれほど穴があったら入りたくなるような恥ずかしい事どもを繰り返して来たか。

 あれは、中学2年生の頃。
 クラシック音楽を聴き始め、おまけに吉田秀和の書いた本なんか読み始めた僕は、音楽のW先生(20代後半だったろうか。なかなかきれいな女性だった)に向かって、
「マスネの『タイス』の瞑想曲やマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲とかって、通俗的で次元の低か曲ですね」
と口にしてしまったのだ。
 W先生は、にこっとして、
「あたしは、好きよ。きれいか曲やもん」
と答えてくれたのだけれど、もしかしたら内心>こん、くそガキが<と唸り声を上げていたかもしれない。

 今になって、じゃない、時を経ずして高校に入った頃には、己はなんて馬鹿なことを口にしてしまったのだろうと、自分自身の愚かさ浅はかさを呪ったものである。
 が後の祭、後悔先に立たず、覆水盆に返らず、生兵法は大けがのもと。
 いや、最後のは違うか。

 まあ、それはそれとして、30年以上いろいろなクラシック音楽を聴き続けてきて思ったことは、W先生がおっしゃたように、『タイス』の瞑想曲も『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲も、確かにきれいで耳馴染みのよい曲で、聴けば必ず「ああ、いいなあ!」と感じるということだ。

 ところがどっこい、気がついて周りを見れば怖い蟹、じゃない、こは如何に。
 かつてあれほど録音されていた、クラシックの名曲小品と呼ばれる作品が、影も形もなくなっているではないか。
(って、ちょと大げさだね)

 と言ってこれ、中2(病)の僕のようなお高くとまったスノビストが増えて、名曲小品の価値がだだ下がりに下がったというわけではなく。
 レコードに変わって、長時間収録が可能となったCDが一般化するとともに、マーラーやブルックナーなんて大曲や、これまであんまり知られてこなかった秘曲珍曲が幅をきかせてくるようになったってことで。

 今回とり上げる、アンドルー・デイヴィスがフィルハーモニア管弦楽団を指揮して録音した『マドンナの宝石』(オーケストラ名曲ア・ラ・カルト)なぞ、それこそ名のあるオーケストラを起用して録音された名曲小品集の末尾を飾る一枚なのではないだろうか。
(そうそう、これは東芝EMIのスタッフがイギリスまで出張して録音した国内企画のアルバムで、東芝EMIからは、先頃亡くなったヴォルフガング・サヴァリッシュとバイエルン州立歌劇場管弦楽団の組み合わせで録音した同種の名曲小品集がリリースされていたし、デンオン・レーベルからは、チャールズ・グローヴズが同じフィルハーモニア管弦楽団を指揮して録音した『グローヴズ卿の音楽箱』という名曲小品集が2枚リリースされていた)

 お国物のエルガーの『愛のあいさつ』に始まり、スッペの喜歌劇『軽騎兵』序曲、レハールのワルツ『金と銀』、ポンキエルリの歌劇『ジョコンダ』から時の踊り、ワルトトイフェルのスケーターズ・ワルツ、ヴォルフ=フェラーリの歌劇『マドンナの宝石』間奏曲、イヴァノヴィッチのワルツ『ドナウ河のさざ波』、ボロディンの交響詩『中央アジアの沿う現にて』、ローザスのワルツ『波濤を越えて』、マスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲(!)、エルガーの行進曲『威風堂々』第1番、そしてヘンデルの歌劇『クセルクセス』からラルゴで締めるという、若干脈絡はないけれど、オーケストラの魅力を存分に、そして気楽に味わうことのできるカップリングとなっている。
 カナダのトロント交響楽団のシェフを辞し、母国イギリスに腰を落ち着けたばかりのアンドルー・デイヴィスは、そうした各々の作品の特性魅力をよくとらまえて、実に聴き心地のよい音楽を造り出しているのではないか。
 フィルハーモニア管弦楽団も達者なかぎりだ。
 それにしても、『ドナウ河のさざ波』や『波濤を越えて』なんて、本当に久しぶりに耳にしたなあ。
 『ドナウ河のさざ波』の冒頭部分は、テレビドラマか何かのテーマ曲になっていたこともあって、よくリコーダーで吹いていたくらいなのに。

 例えば、自殺したヘルベルト・ケーゲルがドレスデン・フィルを指揮して録音した同種のアルバムのような「深淵」をのぞくことは適わないが、たまには気楽な気分で音楽に親しむ時間があってもいいんじゃないか。
 それこそ「深淵」ばかりのぞいていると、長年積み重ねて来た自分の恥に耐えかねて、自分の命を自分で奪ってしまうことにもなりかねないもの。

 いずれにしても、音楽好きに安心してお薦めできる、愉しい一枚だ。
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エリアフ・インバルが指揮したブルックナーの交響曲第2番

☆ブルックナー:交響曲第2番

 指揮:エリアフ・インバル
管弦楽:フランクフルト放送交響楽団
(1988年6月/デジタル・セッション録音)
<TELDEC>243 718-2(8.44144ZK)


 エリアフ・インバルがフランクフルト放送交響楽団と録音したブルックナーの交響曲全曲のうち、初期の作品にあたる第2番を聴く。
 第1楽章の冒頭の細かい弦の動きや、金管のファンファーレと、ブルックナーらしさが明確に現れ出した頃の交響曲で、森閑とした、とでも評したくなるような澄んだ感じのする曲調が僕は好きだ。
 インバルは、曲の要所長所をよく押さえるとともに、この交響曲の持ついびつな部分、弱点短所を馴らすことなく、それもまた作品の特性と捉えて細かく表現しているように思う。
 オーケストラの動きに若干鈍さを感じるし、録音もそれほどクリアではないのだが(TELDECレーベルらしく)、ブルックナーの交響曲第2番の特質特徴をよく識るという意味では、ご一聴をお薦めしたい一枚だ。
posted by figaro at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アントニー・ペイ独奏によるウェーバーのクラリネット協奏曲集

☆ウェーバー:クラリネット協奏曲集

 独奏:アントニー・ペイ
管弦楽:エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
(1987年10月/デジタル・セッション録音)
<Virgin>VC7 90720-2


 進化には道理あり。
 いわゆる社会ダーウィニズムには、19世紀的な帝国主義臭がふんぷんとして、どうにもこうにも胡散臭さと腹立たしさを覚えるものの、時代に伴った化学技術の進化には、やはりむべなるかなと大いに納得せざるをえぬものがある。
 楽器もまたしかり。
 社会の変化に歩みを合わせるかのような、19世紀、そして20世紀の楽器の変化は、これまた当為のものであり、実際楽曲演奏両面で大きな進化をもたらした。
 でもね、今は今中今は今、と永遠の今日を続けていると、何やら惰性が働いて手垢はつくわ苔は蒸すわ。
 おまけに原子力発電所は壊滅的な事故を起こすわ。
 事は音楽だって同じ。
 オーソドックスといえば聴こえはいいし、確かに超一流の演奏を聴けば、やっぱり王道っていいな、なんて感心感嘆してしまうものの、世の中そんなに超一流ばっかりじゃない。
 惰性でお仕事やってます、的な演奏聴くと、もう萎えちゃうんだよね。

 で、温故知新じゃないけれど、前世紀の最終盤、作品が作曲された当時の楽器、もしくは復元された楽器=ピリオド楽器を使って、しかもその時代の演奏方法を鑑みながら作品を演奏しようって流れが出来てきた。
 つまり、これがピリオド・スタイルってやつ。
 今までの演奏ではいまいちわかりにくかった作品のツボや仕掛けがわかってきたし、スピーディーなテンポ設定は清新快活だし。
 少なくとも、ピリオド・スタイルの出始めはたまりにたまった塵芥を取り去ったような清々しさを感じたものだ。

 今回とり上げる、第1番と第2番の協奏曲にコンチェルティーノ(単一楽章の小協奏曲)を収めたウェーバーのクラリネット協奏曲集のCDも、そんなピリオド楽器とピリオド・スタイルの演奏が「市民権」を得始めた頃に録音された一枚だ。
(なお、これまではアントニー・ペイが吹き振りしたと思っていたが、改めてブックレットを確認すると、ヴァイオリンのロイ・グッドマンがリーダーとメンバー表に記されていた。もしかしたら、オーケストラは彼の弾き振りなんじゃなかろうか)
 いっかなピリオド楽器の名奏者アントニー・ペイと、いっかなピリオド楽器の腕扱きを集めたエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団であろうと、ところどころ音程その他、危なっかしい部分はあったりはするんだけど、反面、作品の持つ陽性歌謡性が巧みに再現されているようにも思う。
 てか、モダン楽器の整って迫力満点の演奏だと、ときにかまびすしさ、ばかりか安っぽさすら感じるウェーバーのクラリネット協奏曲の伴奏(オーケストレーション)が、適度な華やかさで聴こえるのは、やはりこの演奏の魅力なのではないだろうか。

 ロンドンの聖バーナバス教会での録音もほどよい響きで聴きやすく、初期ロマン派好きの方には、ご一聴をお薦めしたいCDである。
posted by figaro at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大塚道子が亡くなった

 どんよりとした感じはありつつも、一応青空の見えるお天気。

 気温はいくぶん上昇したが、朝夕の冷え込みは厳しい。
 後述、元・立誠小学校の講堂は、本当に寒かった。
 ラーゲリほどじゃないけどね。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザなどにお気をつけくださいね。


 そして、花粉症もじわじわと始まっている。
 首筋のがさがさが激しいし、くしゃみや目の周りのかゆみも。
 やれやれ。


 劇団俳優座の代表で、俳優の大塚道子が亡くなった。82歳。
 ホームグラウンドである劇団俳優座をはじめ、商業演劇(『放浪記』が有名か)等、舞台で活躍したほか、映画、テレビドラマにも多数出演した。
 冷徹な姑役や「オールドミス」(こういう言葉をあまり使いたくないのだけれど)役を得意とした。
 また低くて美しい声質の持ち主で、洋画の吹き替えも行った。
 映画では、小林正樹監督の『上意討ち 拝領妻』、弓削太郎監督の『夜のいそぎんちゃく』、山本薩夫監督の『牡丹灯籠』(侍女の役。必見)や『金環蝕』(宇野重吉の妾役)、出目正伸監督の『忍ぶ糸』、篠田正浩監督の『悪霊島』、森川時久監督の『次郎物語』(厳しいばあさん!)。
 テレビドラマでは、田中邦衛、小沢栄太郎と俳優座がらみの面子が揃った土曜ワイド劇場『迷探偵コンビの危険旅行 幽霊結婚』で、謀略にはまって自動車事故を起こす「オールドミス」役が強く印象に残る。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 大塚さんが亡くなったこともあるけれど、戦中や戦後すぐを覚えている演劇人(どうしても新劇中心になるだろうが)の聞き取り調査を今のうちに改めて行っておいたほうがよいのではないかと、僕は強く思う。

 ところで、上述した『幽霊結婚』をどうして記憶しているかというと、先日O land Theaterの『イナンナ』を観ていて、主人公の女と男は誰がいいかなあと妄想する中、このドラマの結城しのぶと荻島真一のことをぱっと思い出したからだ。
 ほかに、『イナンナ』の女と男の候補としては、市毛良枝、多岐川裕美、田島令子、磯部勉も考えた。
(いずれも、20代30代の頃の彼女彼が演じる。だから、あくまでも妄想なのだ)


 昨夜、4時半近くまで仕事関係の作業を進める。


 朝早くから、街宣車(? 2種類)がかまびすしい。
 一本調子の物言いで、何が言いたいんだかさっぱりわからず腹立たしい。
 で、それが治まったと思ったら、今度は真向かいのマンションの作業がシュインシュインと始まる。
 なめとんか!!


 カール・ベーム指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番&ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲<ドイツ・グラモフォン>を2回聴きながら、仕事関係の作業を進める。


 16時少し前に外出し、歩いて元・立誠小学校へ。
 で、講堂で京都学生演劇祭のEブロック3団体を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 開演前休憩中終演後に、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。

 その後、OPAのタワーレコードとブックオフをのぞき、夕飯用の買い物をすませて、21時半過ぎに帰宅した。
(そういえば、行きがけ、烏丸から河原町への地下道を歩いていて、烏丸駅の改札口と河原町駅の改札口でそれぞれ親しくしている人と遭遇して、またぞろ自分のばったり率の高さに驚く)


 遅めの夕飯後、再びベームのCDを聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、観劇記録の下書きやアップをしたりする。


 以上、3月4日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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京都学生演劇祭(第3回)Eブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Eブロック
(2013年3月4日17時スタート/元・立誠小学校 講堂)


 若干気温は上がったものの、まだまだ講堂の中は寒い寒い寒い。
 まあ、ラーゲリほどではあるまいが。
 それに運営側の防寒対策も増しもしたし。
 それでも、寒さを噛み締めながら、京都学生演劇祭のEブロックを観劇した。



○コントユニットぱらどっくす 『ノアのドロ舟』(同志社大学)

 脚本・演出:左子光晴


 あいにくコントユニットぱらどっくすの公演自体は未見なものの、左子君が第2回目の企画外企画劇場の大喜利で、政治がらみのネタ(名は体を表す? 左がかった。たぶん、企画者の作道雄君は嫌いそうな)を生な言葉で口にしているのを観たことはある。
 なかなか気骨あるやんけ、というのが僕の第一印象で、今回の『ノアのドロ舟』も、そうした左子君の真情が相当ストレートに表われた作品になっていたのではないか。
(ちなみに、政治関連の話ではないけど)
 と、言っても造りはいたってべた。
 ときに漫才的な絡みも交えつつ、吉本や松竹等々、関西の笑いの手法(もしかしたら、落語の地獄八景亡者戯も下敷きになっているかもしれない)に非常に忠実な作品となっていた。
 ルーティン、反復と笑いの仕掛けもよく効いていたし、ブリッジの音楽ともども左子君の伝えたいこともよくわかったのだけれど、そのブリッジの置き方も含めて、テンポ、タイミングが詰まりきらず、ぐいぐい押し進めていくエネルギーに若干欠けて、間延びした感じがしたのは残念だった。
 とはいえ、コントユニットぱらどっくすの公演にはぜひ一度足を運びたいとも思った。
 さらにとがった笑いと社会批判を期待したい。



○吉田寮しばい部 『きずあと』(京都大学)

 脚本・演出:中西良友


 拙さの巧さ、訥弁の能弁とでも言おうか。
 とてもシンプルでわかりやすくてリリカル、それでいて(だからこそ)心にぐっとくる作品だった。
 例えば、山田太一や倉本聰のドラマにもつながるような。
 演劇的な技法や技巧としてどうか、という点はひとまず置くとしても、伝えたいことを真正面から伝え切るという造り手の姿勢に、僕は大いに好感を覚えた。
 演技、エロキューションともに今は亡き信欣三を思い起こした辻斬血海、五分厘零児、埜口敏博君、中西君、いずれも作品の世界観によく沿った真摯な演技だったと思う。
 音楽のチョイスもよし。
 ああ、面白かった!



○同志社小劇場 『国道X号線、Y字路』

 脚本:伊藤元晴
 演出:吉見拓馬


 老舗中の老舗、同志社小劇場が演じたのは、吉見君や出演者の長南洸生君が共同作業を行ったことのある、象牙の空港の伊藤元晴君が書いた『国道X号線、Y字路』。
 「モノローグの積み重ね」という、現代の小劇場を知る人間にとっては「ああ、ああ」と思いつく手法を確信犯的に援用模倣しつつ、叙情的に幕を閉じるあたり、伊藤君の面目躍如だなあと思いながら、一方でジョヴァンニ・アントニーニじゃない(これは指揮者の名前だ)、ミケランジェロ・アントニオーニのことなども思い出したりした。
 さすが同小、しかも伊藤君のことをよく知る面々も含まれているということもあって、そうした作品の要点、肝を押さえた舞台となっていたのではないか。
 ただ、愚直なほどにストレートな吉田寮しばい部のあとでは、いささか手わざが先にきて、ちょっと表層的というか、意図された以上の不毛さと退屈さを感じたことも否定できない。
 一つには、伊藤君自身が演出する場合は、今回のテキストにも如実に示されているような自己の内面の葛藤やどろどろとした感情というものを、あえて普遍化しよう、馴らして見せようとすることからくるせめぎ合いと、それでも結局根底にあるものが見えてしまう切実さが生まれるのに対し、同小の面々の場合、はなからそうした諸々を隠す必要もなく(だって、伊藤君本人じゃないもの)、結果せめぎ合いや切実さが生まれないため、伊藤君の作家としての急所がかえって目立ってしまったということも、大きいような気がするが。
 演者陣は、作品の意匠をよく汲んだ安定した出来。
 悠木千帆時代の樹木希林のような赤い服を着た女性が強く印象に残ったが、客演等、アンサンブルとしての使い勝手がよいのはもう一人の女性のほうかもしれない。
(高間響さんもツイッターで記していたが、誰が何の役を演じているかはやはりどこかに明記して欲しいなあ。老舗の美意識もあるのか、同小は終演後各々名前を名乗ったりもしなかったし)
posted by figaro at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月03日

カール・ベームのCDを三度聴いた一日

 どんよりとした感じはありつつも、青空の見えるお天気。

 昨日ほどではないようだが、今日もやはり寒さが厳しく激しい。
 寒い寒い寒い。
 皆さん、くれぐれもお気をつけくださいね。


 昨夜、稲葉稔の『圓朝語り』<徳間書店>を読了する。
 ウェルメイドな仕上がりの時代小説で、噺家としての三遊亭圓朝の真摯な姿に作者の創作活動への想いが仮託されているようにも感じられた。
 ああ、面白かった!

 その後、結局明け方の5時半まで仕事関係の作業を進める。


 午前中には目が醒めていたものの、花粉症のせいもあってか身体が重だるく、寝床を出たのはお昼を過ぎてからという体たらく。


 NHK・FMの『きらクラ!』(ゲストは、ピアニストの菊池洋子)や、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番&ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲<ドイツ・グラモフォン>を2度聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、依頼された文章について考えたり、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を行ったり、森絵都の『異国のおじさんを伴う』<文藝春秋>を読み始めたりする。


 体調もあって、行きたいと思っていた京都造形芸術大学映画学科の卒業制作展はパスしてしまう。
 本当に残念。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』で、アロンドラ・デ・ラ・バーラ指揮東京フィルの定期演奏会などのライヴ録音を聴く。
 モンカーヨの『ウアバンゴ』(とても耳馴染みのよい作品)やロドリーゴのアランフェスの協奏曲(村治奏一のギター独奏)、タレガの『アルハンブラ宮殿の思い出』(アンコール)等が放送されていた。


 続けて、再びベームのCDを聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を行ったり、『異国のおじさんを伴う』を読み進めたりする。


 今日は、ミスターイトウのラングリー(バニラクリームサンド)を食す。
 卸売ひろばタカギで、税込み62円だったもの。
 バニラクリームを挟んだラングドシャークッキーで、なかなか美味しうございました。
(なんてったって、ラングドシャークッキーが好きなのだ、僕は)
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figaro at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雪が降るなんて…

 青空。
 と、思っていたら、どんどんどんよりし始め、ついには雪が降り始める。
 それもけっこうな降り。
 なんじゃいな!

 気温もだだ下がり。
 寒さがとても激しく、とても厳しい。
 寒い寒い寒い寒い。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザなどにはお気をつけくださいね。


 昨夜、3時半頃まで稲葉稔の『圓朝語り』<徳間書店>を読み進めたり、仕事関係の作業を進めたりする。


 朝早めに起きて、仕事関係の作業を進める。


 11時半に外出し、歩いて木屋町通の元立誠小学校へ。
 第3回目にあたる京都学生演劇祭の初日、開会式に参加し、Cブロック、Dブロックを観る。
 詳しくは、前々回前回の記事をご参照のほど。

 開演前休憩中終演後、事務局長の沢大洋さんや審査員の田辺剛さんをはじめ、出演者の面々、関係各氏とお話をしたり、あいさつをしたりする。

 終了後、三条とOPAのブックオフをのぞき、タワーレコードで『ぶらあぼ』の3月号を入手したのち、21時過ぎに帰宅する。


 帰宅後、NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴き、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番&ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲<ドイツ・グラモフォン>を聴く。

 仕事関係の作業を進め、『圓朝語り』を読み進めたのち、京都学生演劇祭の観劇記録の下書きとアップをすませる。


 以上、3月2日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figaro at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都学生演劇祭(第3回)Dブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Dブロック
(2013年3月2日17時スタート/元・立誠小学校 講堂)



○劇団立命芸術劇場 『行き当たりばったり』(立命館大学)

 脚本・演出:和田直大


 初日ということをまず加味した上で。
 ううん、造り手のまじめさはよくわかったんだけど、作品の面でも演技の面でも、どうにも厳しさつらさを感じてしまった。
 今回の作品のアイデアだって、たぶんもっと面白くできると思うんだよなあ。
 例えば、細かい出入りに気を遣わなくて、同じ一つの舞台であなたこなたを処理してしまうとか。
 次回の捲土重来を心より期待したい。



○劇団紫 『天使のはなし』(佛教大学)

 脚本・演出:ヒラタユミ


 課題や突っ込みどころは当然あるし、ちょっとミニシアター系の映画っぽい雰囲気もあるのだけれど、この作品のべたで(と)ぼけた、向日的な笑いと雰囲気は嫌いじゃない。
 だが、それより何より、去年の『ドッペルゲンガーは出られない』からのヒラタさんの「変化」に、僕はおおっと思ってしまった。
 よい意味でのびっくり!
(未見ゆえ詳細はわからないものの、もしかしたら、昨年の冬季定期公演、とのいけボーイ君作・演出の『モテたくて…!!』にも、その「変化」の原因を解く鍵があるのかもしれない)
 次回のさらなる「変化」を愉しみにしたい。

 それにしても、こうした「変化」を確認するのも、学生演劇祭の醍醐味だと思うなあ。


○喀血劇場 『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』

 脚本・演出:近衛虚作


 名は体を表す。
 題名はお芝居の内容を表わす。
 まさしく笑い満載、下ネタ満載。
 そりゃ、喀血劇場、大人の劇団だもんね。

 ただし、タイトルや表面的な部分とは裏腹に、近衛虚作君のお芝居の骨法の心得具合とツボの押さえ具合、シャイさと細やかさが垣間見える作品となっていることも、また大きな事実だ。
 さらには、近衛君の演劇や「祭」への強い想いさえ…。

 なあんてね。
 まあ、下ネタが大好きな人はそのままに、逆に下ネタが苦手な人は、そこだけに惑わされず心眼でご評価いただければ。
 と、ちょっとステマ臭いことを記してみました。

 いつもの如く古野陽大君はもちろんのこと、よい意味で1980年代の東京乾電池などを思い起こさせられるタチバナ役の男性(名前教えて!)や、髭だるマンら演者陣も好演熱演。
 それと、喀血劇場は女性の演者のチョイスがいいんだよね。
 ライター役の女性(名前教えて!)とか、いいなあ。
 もちろん、ここでも近衛君の演出が大きくモノを言っているんだけど。

 ああ、面白かった!
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京都学生演劇祭(第3回)Cブロック

☆京都学生演劇祭(第3回)Cブロック
(2013年3月2日13時スタート/元・立誠小学校 講堂)


 一昨年昨年に続いて今年もご招待いただいた京都学生演劇祭の初日ということで、元立誠小学校に足を運んだ。
 一昨年の3月にクラシカル・オーケストラ京都で講堂を利用した経験からも、ここの寒さは覚悟していたのだけれど、昨日までの穏やかさと打って変わっての低い気温。
 おまけに雪まで降るんだから、西部講堂も真っ青の寒さ。
 皆さん、くれぐれも重防寒のほど。
(正直、運営側の用意するものでは寒さは防げないので)

 まず、出演者の一人が「昼のワイドショーみたい」と思わず口にした、ちょっと煮え切らない開会式で三谷幸喜がらみの音楽が流れていたから、すはS君の作道、じゃない策動かと疑ったが、どうやらそうではないらしい。
 作道君、じゃないS君、ごめんなさい!

 で、第一ブロック目のCブロックを観る。
 あまり会場での稽古ができていない、それも初日ということを加味の上で、以下ご覧いただければと思う。



○KAMELEON 『新しい下宿人』(京都造形芸術大学)

 脚本:ウジェーヌ・イヨネスコ
 演出:村上千里


 まずもって既成台本、それもイヨネスコに取り組んだという点だけでも◎。
 杉原邦生君じゃなくったって高く評価したい。
 そして、イヨネスコに何かを足していきたいという村上君の意志もよくわかったんだけど。
 イヨネスコの狂気に裏打ちされた毒のある笑い、それとコインの裏表にある切実さというものが、あまり伝わってこなかったのは非常に残念だ。
 回を重ねていけば、精度も上がってくるだろうから、一概には言えないのだが、もしかしたら、ただ淡々と作品を「積み上げていった」ほうが、ある種の虚しさと狂気は表現できたような気がしないでもない。
(ジブリかアメリか、と評したくなるようなポップでキュートなイヨネスコには、ルドルフの『授業』という先例があるけど、あれは筒井加寿子さんと水沼健さんの共同作業だからこそだもんなあ)
 演者陣では、下宿人の河尻光君(未確認。間違っていたら訂正します)の雰囲気がいい。
 年を重ねれば、浅野和之さんみたいな役者さんになるのでは。
 一方、fukuii企画の『ニッポンの教育 −女子校編−』で、その存在感に魅せられた田中沙依さんは、難しいテキストの初日ということもあってか、台詞にも感情表現にも粗さが目立った。
 もしかしたらこれは、技術の巧拙というより、彼女が自分の柄に合わない役をやっている(やらされている?)ことのほうが大きいのかもしれないともふと思う。
(とはいえ、河尻君同様に田中さんも、15年後の演技がとても愉しみだ)
 できれば、別の回をもう一度観ておきたいな。



○劇団テフノロG 『空想世界の平均率』(成安造形大学)

 脚本:カメレオン十和子
 演出:テフノロガールズ


 成安造形大学の劇団テフノロGは、女性のみの出演。
 等身大というのかなあ、今の自分たちにとって身近で切実な事どもを、心理学的な要素をからめながら描いていたんだけど、脚本的に線が見えにくいというか、演劇的なものを意識したためにかえって遠回りしたという感じがしなくもない。
 ただ、本来ならば学内だけに留まってしまうだろう彼女たちの活動に、こうやって広く接する機会があるということはやはり重要だし、他の学生劇団と接することで彼女たちが得るものも小さくないとも思うわけで、評価において無理やり下駄をはかせる必要はないものの、彼女たちのプラスの部分は極力認めておくべきだとも感じる。
 諸々の事情もあってだろうが、今回京都女子大学の劇団S.F.P.が参加していないことも踏まえればなお。

 そしてこのことは、京都学生演劇祭がどこに軸足を置くのかということとも大きく関係していることだ。
 「演劇」のほうに特化して、学生劇団間の淘汰もやむなしとするのか、それとも「学生」の部分にもきちんと留意し続けるのか。
 あくまでもその意味で、審査員の人選は適切なのかどうか。
 沢大洋さんの学生演劇祭への関わり方も含めて、3月5日のパネルディスカッションではこういった点についてこそまずもって語られるべきだと、僕は思う。

 それにしても、例年感じることだが、テフノロGって、どうして昭和の香りがするのかなあ。



○劇団愉快犯 『作り話』(京都大学)

 脚本・演出:玉木青と劇団愉快犯


 いつくるかいつくるかとオチを待っていたら、オチなどなくて、まじめな私戯曲、と、言うより、先輩で実行委員長を務めてもいた玉木青君を糾弾する(?)ミュージカルだった『インギンブレイ。』から一転、玉木君が復活してオールスターキャストを揃えた今年の愉快犯は、元祖確信犯の名に恥じぬ、昨年の確信犯、西一風・田中次郎の『話の時間』に負けないウェルメイドプレイの佳品を造り上げた。
 その名もずばり『作り話』。
(企画外企画劇場と「」会の違いにもつながるけれど、やっぱり玉木君はクリエーター気質だし、作道雄君はプロデューサー気質だと思う)
 で、詳しくは観てのお愉しみ。
 バーバルギャグにサイトギャグと、しっかりきっちり笑わせておいて…。
 硬軟両面を演じてみせた北川啓太君をはじめ、谷脇友斗君、三宅陽介君、高崎正信君、井田勝也君ら演者陣も、長短はありつつも好演。
 横山清正君も、ゲストの役割をきっちり果たしていた。
(笹井佐保さんの出番が少なかったのは、残念。僕は、彼女を買っているのだ。でもこれ以上誉めると、今度は彼女が糾…)
 回を重ねるごとに、さらに磨きがかかるのでは。
 象牙の空港の『女体出口』で目を見張った永榮紘実さんがゲストの9日の回を再見しようかな。
 ああ、面白かった!
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2013年03月01日

今日から3月 小林信彦の『私の東京地図』を読了した

 今日から3月。
 今年も残すところ、あと10ヶ月を切った。
 やるべきことをしっかりやっていかなければ。
 そして、死を忘れないこと。


 雨の一日。
 どんよりとしたお天気。

 気温も上昇する。
 ただし、明日は再び厳しい寒さになると。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザなどにはお気をつけくださいね。


 花粉の影響で、首筋ががさがさし、身体が重だるい。
 これで雨でなかったらと思うと、本当にぞっとする!


 昨夜、KBS京都でナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
 途中、小林信彦の『私の東京地図』<筑摩書房>を読み始めたりもした。


 午前午後と、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』やカール・ベーム指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番&ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲<ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 NHK・FMのヴォルフガング・サヴァリッシュの追悼特別番組で、NHK交響楽団とのリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』(ライヴ録音)、バイロイト音楽祭管弦楽団とのワーグナーの歌劇『タンホイザー』序曲とヴェーヌスベルクの音楽(ライヴ録音。途中まで)、シュターツカペレ・ドレスデンとのシューマンの交響曲第2番の第1、第2楽章を聴く。


 続けて、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルが演奏したシューマンの交響曲第2番&序曲集<RCA SONY/BMG>を聴き、CDレビューをアップする。


 仕事関係の作業を進めたり、3月の創作活動や依頼された文章について考えたり、『私の東京地図』を読み進めたりする。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、マリア・ジョアン・ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第21番他<ERATO>を聴きながら、雑件を片づけたり、『私の東京地図』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベストオブクラシックで、小澤征爾指揮水戸室内管弦楽団の定期演奏会のライヴ録音を聴く。
 モーツァルトのディヴェルティメントK.136(指揮者なし)、ハイドンのチェロ協奏曲第1番(宮田大の独奏)、モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」が放送されていた。


 続けて、ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第16番&第21番<ドイツ・グラモフォン>を聴き、CDレビューをアップする。

 続けて、ベーム指揮ウィーン・フィルのCDを再び聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、依頼された文章について考えたり、『高森みずきの穏やかな一日』の改訂作業を行ったりする。


 『私の東京地図』を読了する。
 筑摩書房のPR誌『ちくま』に連載された、小林信彦が東京の街について綴った文章をまとめた一冊。
 と、言っても甘いノスタルジーに浸ったものなどではなく、淡々とした筆致ながら、まえがきの「(東京をあまり知らない)人間が東京について書くのは、住み易い村を失った人間が、村の想い出をしつこく書くのに等しい」という言葉や、終章の「東京はまだ<普請中>」からも明らかなように腹立たしさと憤りをためた内容だと思う。
 できれば文庫本を買って、何度も読み返したい。


 続けて、稲葉稔の『圓朝語り』<徳間書店>を読み始める。
 可愛がっていた蕎麦屋の娘を殺された若き日の三遊亭圓朝が、弟子入りを志願した元貧乏御家人を伴って下手人探しに乗り出す、という話か。
 ちょうど『私の東京地図』と重なる部分もあって、面白い。


 今日は、サンスイートトレーディングのマカダミアナッツココアサブレを食す。
 近くのダイソーで購入した、マレーシア原産のもの。
 チョコチップとマカダミアナッツ入りのクッキーで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figaro at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第16番&第21番

☆シューベルト:ピアノ・ソナタ第16番&第21番

 ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス
(2011年7月/デジタル・セッション録音)
<ドイツ・グラモフォン>477 8107


 以前、1985年に録音された(と、言うことは、もう30年近く前になる)、マリア・ジョアン・ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第21番<ERATO>について、「自己の深淵と向き合うということをどこか自家薬籠中のものとしてしまった感すらある」最近のピリスの演奏と異なって、清新でどうこうと好意的に評したことがあった。
 で、今回改めてピアノ・ソナタ第21番の新旧二つの録音を聴き比べてみて、自分自身の言葉の浅薄さに反省した次第だ。
 いや、確かに1985年の録音の清新な雰囲気、若々しさは魅力ともなっているのだが、新しい録音と比べると、細かな部分(例えば、第2楽章)での表現のちょっとした薄さが気になってしまうのである。
 と、言っても、新旧双方で大きな解釈の違いがあるわけではなく、演奏時間も新しい録音のほうが2分程度長くなっただけではあるのだけれど。
 けれど、一音一音丁寧に紡ぎ上げていくかのような新しい録音でのピリスの演奏の懐の深さ、幅の広さに僕は強く魅かれる。
 上述した言葉を引くならば、自己の深淵と向き合いつつも、そうした状態に溺れることなく、真摯に淡々と音楽を造っている、と評することができるだろうか。
 このレビューを記すまでに、約20回ほどこのCDを聴き返したが、何度聴いても聴き飽きない、充実感に満ちた演奏だと思う。
 また、カップリングの第16番のソナタも、作品の持つ歌唱性と叙情性、躍動感をよく捉えて過不足がない。
 ドイツ・グラモフォンの録音もクリアであり、音楽好きにはぜひともご一聴をお薦めしたい一枚だ。
posted by figaro at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パーヴォ・ヤルヴィの指揮によるシューマンの交響曲第2番&序曲集

☆シューマン:交響曲第2番&序曲集

 指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン
(2011年4月、12月&2012年3月/デジタル・セッション録音)
<RCA SONY/BMG>88765 42979 2 SACD


 先頃hr(フランクフルト放送)交響楽団のシェフの座を降りることが伝えられたパーヴォ・ヤルヴィだが(もしかしたら、ベルリン・フィルを狙っているのか?)、このhr響をはじめ、パリ管弦楽団、そしてドイツ・カンマーフィルと精力的な演奏活動、並びに各々のオーケストラの特性をよく踏まえた録音活動を繰り広げている。
 中でも、ハインリヒ・シフ、トーマス・ヘンゲルブロック、ダニエル・ハーディングら歴代指揮者とともにピリオド・スタイルに磨きをかけ続けてきたドイツ・カンマーフィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集は、ピリオド奏法の援用によるモダン楽器オーケストラの演奏の模範解答とでも呼ぶべき過不足のない内容となっているのではないか。

 そうしたパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルがベートーヴェンの次に着手したのは、シューマンの交響曲全集である。
 で、すでに第1番「春」&第3番「ライン」がリリースされているのだけれど、今回とり上げるのは、僕が大好きな第2番と4つの序曲が収められた一枚だ。
(なお、もともとSACDと発売されているものを、僕はCD面で聴く)

 上述したベートーヴェン同様、いわゆるピリオド奏法を援用した、スピーディーでクリアでスマート、なおかつシンフォニックで劇性に富んだ音楽づくりで、交響曲第2番では、レナード・バーンスタインがこの曲の第2楽章を評して言った「mad(気狂い)」な感じや前のめり感は若干馴らされてしまっているように思わないでもないのだが、とても見通しと聴き心地のよい演奏であることも確かだ。
 加えて、小編成ということもあってだろう、同じく交響曲など、シューマンのオーケストレーションの特異さがよくわかる演奏ともなっている。
(終楽章=トラック4の2分15秒あたりの、オルガン的、もしくは金属的な鋭い響きが強く印象に残る)

 また、このアルバムでは、『マンフレッド』、『ヘルマンとドロテア』(ゲーテの作品によるもので、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』がしつこいほどに引用される。急進的と伝えられるシューマンの「政治性」については、いずれ詳しく調べてみたい)、『メッシーナの花嫁』、『ゲノヴェーヴァ』の4つの序曲も聴きものだろう。
 これまでピリオド・スタイルやピリオド楽器のオーケストラでほとんど録音されてこなかった曲目だけに貴重だし*、音楽のツボをよく押さえたリリカルでドラマティックな演奏も充分に満足がいく。

 いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィという指揮者の力量が十二分に発揮された、安心してお薦めできるアルバムだ。


*注
 そもそもシューマンの序曲集自体、録音が少ない。
 交響曲全集のカップリングは置くとして、序曲集という形では、ヨハネス・ヴィルトナー指揮ポーランド国立放送交響楽団<NAXOS>、リオール・シャンバダール指揮ベルリン交響楽団<ARTE NOVA>、パーヴォ・ヤルヴィの父親であるネーメ・ヤルヴィ指揮ロンドン交響楽団<CHANDOS 一枚物のブラームスの交響曲全曲にカップリングされていたのをまとめたもの>を思いつく程度である。
posted by figaro at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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